top pageothers>08.02_Vol02













 ニュース番組、報道番組。ちょっと変だなとつっこみを入れたくなる。TBS「みのもんたの朝ズバッ!」。徹夜明けにはついつい見てしまう。今年に入って、家族内での殺人事件が数多く起こっているとナレーターの説明。これでもかと、次々と事件があの大型パネルで説明された。

 みのもんたが「何でこんなことが起こるのでしょうか」と識者といわれる人たちに質問。あたりさわりない発言しか聞けない。誰もが、何かのきっかけで、犯罪を犯す可能性はある。そこに至る過程で、当事者がどれだけ苦しみ、いたしかたなく、犯罪を犯したという視点はない。自分自身も含めて安全地帯にいる違和感。

 正義や怒りを代弁している「ガス抜き」。ついつい見てしまうことの正体。ガス抜きされるのは危険だ。

 古館伊知郎の「報道ステーション」。問題が起こると、グローバル化、地球温暖化が要因だと結びつける。感情的で、短絡的な収斂は、問題の本質を隠す。説明テロップなどにミスが起こると、謝罪が大げさ。報道する側は常に正しくありたい、正しいはずだとの心理が隠されている。彼は隣に座っている女性アナウンサーに同意を求めるように視線を送るのだが、彼女も困惑気味だ。

 番組タイトルは「筑紫哲也 NEWS23」のまま。彼が時々、登場すると、レギュラー陣が困惑しているのがわかってしまう。彼が不在の方がレギュラー陣の振る舞いは自然だ。唐突に感じる登場がレギュラー陣への抑制として働いている。

 「朝まで生テレビ」。登場した沢山の人物が政治家、評論家として名を成した。それが彼らの中に、田原総一朗への恩義として潜在し、一種の仲間意識、シンジケートが形成されている。誰もがはれ物に触るように田原総一朗に対応し、批判しにくくなっているのが見えてしまう。

 去年、東武東上線の常盤台駅で、線路に侵入した女性を助けた警官が殉職した。当時の安倍首相は、すぐに警察署に出向いた。パフォーマンス臭さを感じていやだったが、それに加えて、彼はテレビカメラの前で殉職した警官の氏名を間違えた。民放では、その場面を放映したが、NHKではカットされていた。彼の間違いは、ただのうっかりだったろう。NHKがカットしたことで、何らかの意図が露わになり、逆に間違いが目立ってしまった。報道機関としてのNHKのあり方に疑念が生まれかねない事態だった。

 ニュース番組、報道番組の視聴者としては、ガス抜きかもしれないゾ、ちょっと変だなという違和感に拘らないと、間違ってしまう。報道内容は必ずしも事実ではなく、作為、恣意、強調、省略、編集が含まれる。キャスター、司会者が権威となる危険がいつもつきまとっている。

[2008.02.06]

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