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 村上春樹の「1Q84 BOOK 3」の発行部数が100万部を超えたという。昨今、彼ほど著名ではない作家の場合、初版の印刷部数は1万部を下ることがほとんどで、多くの場合は、5,000部程度から始まる。本が売れず、出版社も最初からリスクがとれないのだ。そして売れ始めても、数千部と小出しに増刷していく。
 「1Q84 BOOK 3」の対極にあり、最も売れない部類の本が詩集だ。それでも、詩集の中に、時に、キラっと光るものがあり、そんな詩集との出会うのも嬉しい。電子書籍の興隆で、出版業界はどうなるのかと喧しい。それでも、まだ本屋に立ち寄り、偶然にも、そんな詩集と出会うのは何かの機縁に違いない。

 最近、出会ったのが文月悠光(ふづきゆみ)の第一詩集「適切な世界の適切ならざる私」だった。ブログにも掲載しているプロフィールによると1991年7月23日生まれの18歳。この詩集は札幌で暮らしていた14歳から17歳までの詩が24編おさめられている。この詩集は2010年2月に中原中也賞を受賞している。




 彼女が詩に目覚めたのは小学4年の時で、中学2年からは現代詩手帖に投稿していたという。中学2年で現代詩手帖という詩の雑誌を知っている女の子はほとんどいないだろう。きっととても変わった女の子だったに違いない。そして高校2年で現代詩手帖賞を受賞している。詩の業界、出版社側も話題性が欲しかったのかもしれない。ところが読み進めると、とてもそれだけではないのがよくわかる。

 高校生時代。遠い記憶となったが、彼女のようにきっと変わった女の子もいた。思春期。この言葉にある「春」は何を意味するのだろうか。これから春を迎える良い季節だとでもいうのだろうか。思い返すと、決して良い季節ではなかった。ホルモンのバランスが変わるのだろう。男でも乳房が痛くなり、熱を帯びる。夢精もするようになる。性教育といえば「女の子」だけ、ある時、体育館に集められ、秘密のように行われた。男の側は何が起こったのか、誰にも聞けず、それは病気なのかと怯えていた。そして目の前には、自分と全く違った「性」を持ち、それに目覚めつつある少女がいた。

 少女性。男には謎で、決して解けない。その時期は誰もが圧倒的に美しく、近づき難い。肉体とそれに影響されるに違いない精神は月の周期とも関係している。
 娘が生まれたての頃、おむつを換えていると、まだ小さく大切な部分から血が出ていたことがあった。驚いて生まれた病院の医師に相談すると、まだ肉体には胎内にいた記憶が残っており、母親の月の周期と合わせているのだといわれた。彼女たちは、月の周期で、毎月、血を見ている。それだけで男にはわからない世界を抱えている。




 個人詩誌は「月光」。ブログのタイトルは「お月さまになりたい」。『新月の夜、あなたの小指を掠め取ったの。 by moonpower0723』。
 『信者並みに私を詳しく知りたい方、幼少からの文月の歩みはこちらです』...と少し挑戦的な言葉。信者にはなりたくないが、彼女の連ねた言葉から、どこまでも男には謎な少女が、この世界とどのように関わっているのかを少しだけ覗けるかも(無理なのだが)しれない。

 男の詩人の言葉は、この世界から受けたひっかき傷を書き連ねたもの。女の詩人の言葉は、この世界に与えたひっかき傷のような言葉。彼女の言葉も世界にひっかき傷をしている。そして、その反動としてのひっかき傷も連ねている。いつも思うのだが、普通、思われているのとは異なり、男の本性は「受動」であり、女の本性は「能動」のようだ。この思い自体が、すでに「受動」なのだが...。

 詩集「適切な世界の適切ならざる私」を読んで最初に思い出したのはアンネ・フランクの「アンネの日記」だった。ブログによると、彼女は2002年 小学5年の冬休みに自由研究でアンネ・フランクについて調べ「アンネ研究ノート」作成したという。

 彼女のサイト「あなたの小指と秒針」(新月の夜、あなたの小指を掠め取ったの。)から。

 「狐女子高生」という詩篇がある。書き出しは「つむぎたいのは、その不規則な体温」そして「プロセスは机の隅に押しやって 唇に海を満たす、吐く」と肉体にも及ぶ違和を語り、「この学校ができる前はね ここで狐を育ててたんだって。」と嘯いている。
 この狐は女子高生だから、短いスカートを履いていて、
(狐女子高生、養狐場で九尾を振り回す。(狐女子高生、スカートを折る。
(短きゃなお良い至上主義。
 そして
ネクタイ結んであげる、の一声で
化かされる新卒教師はものたりない。

 高校生だった頃、制服のスカートは今のように短くはなかったが、文化祭での私服のスカートは短すぎた。剥き出しの大腿はとても眩しく、大学出たてで妙にとんがっていた担任は「とても体がもたない」と本音を言い出し、彼の通勤用の車の中を覗くと、エロ本が見えた。

 街を歩くと、女子高生は、これでもかと短いスカートで歩いている。とても直視できないのを知っている反則。政治と金の問題も、上海万博の喧騒も、オバマの苦境も一切、関係なく、世界を切り裂くように歩いている。そんな彼女たちは、狐に化けているのか、こちらが化かされているのか。聞いてみたいようにも思うが、何とか条例も東京都にはあるので、不可侵の領域となっている。

 そんなことで、彼女の詩集を読むと、「おとこ」という詩篇に「ニンジンを彼と呼んで包丁で切り、鍋で煮る間の心象を」とあり、「私にマンマと食われてしまう、/ただそれだけのことが/快いなんて/彼もまた、おとこなのだ。」と...。

 4月からは東京の大学に通っているそうだ。そして、やはり狐と男は判り合えず、相容れずに、右往左往しているのだろうか。

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