再会の街で(原題:Reign
Over Me)。
深夜だろうか、それとも夜明け前なのか。ニューヨークの街をヘッドフォンをした男が改造原付スクーターで疾走している。彼は何者なのか。かつて大学時代のルームメイトだった友人が再会するところから物語は始まる。
監督・脚本は、1958年、米国ミシガン州デトロイト生まれのマイク・バインダー。1993年、閉鎖されるキャンプ場で10数年ぶりに再会する仲間たちの物語「インディアン・サマー/タマワクの英雄たち」で注目される。
アダム・サンドラー(チャーリー・ファインマン)は、2004年の「50回目のファースト・キス」などで飄々とし、どこか脱力感溢れる演技で評価を受けている。本作では9.11で家族を失い、精神の均衡を失った主人公をリアルに演じている。
友人役のドン・チードル(アラン・ジョンソン)は、2004年、製作も兼ねた「クラッシュ」で英国アカデミー賞作品賞および助演男優賞にノミネートされた他、インディペンデント・スピリット賞処女作品賞を受賞。同年の「ホテル・ルワンダ」ではアカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞、映画俳優協会賞の主演男優賞にノミネートされた。
2007年12月22日より恵比寿ガーデンシネマ、新宿武蔵野館ほか全国にて順次公開。
9.11。今でも覚えている。あの日、夜のニュースでツインタワーの惨状がライブ映像で流れていた。何が起こったのか。すぐにはわからなかった。最近では、レームダック状態となったブッシュ政権のイラク政策への疑問、そして次期大統領選との関連で、検証番組がケーブルテレビで繰り返し放映されている。それを見るたびに、あの夜の衝撃が思い出される。
番組の中で、チェニー副大統領が「これは戦争だ」と直感し、すぐに対策を打つ姿は衝撃的だった。米国本土が攻撃されたことはなかった。政権を担うものとしては彼の直感は正しかっただろう。そして当時の米国では至るところに星条旗が溢れ、愛国的なリベンジへの機運が最高潮に達していった。
マイク・バインダー監督も9.11体験を共有している。あの日を振り返り、「一日で全人生を失ってしまった人たちの姿が入ってきた」と振り返っている。「一年半後、僕は家族と一緒にニューヨークに戻ったが、自分が目にした人たちのことが忘れられなかった。あの人たちの多くにとって、あの日は決して終わらないんじゃないか――心に受けた傷は今も癒やされていないのではないかという思いが、頭から離れなかった。そこからひとつの物語のアイディアがひらめいた。事件から数年後の、残された男と、彼が困難を乗り越えるのに手を貸す人たちの物語だ。」
その後の米国の行動によって国家としての大義が果たされたのかはわからない。ただ、中東地域、世界的規模で米国がパンドラの箱を開けてしまったのは確かだろう。一方で、個人の立場で9.11を捉えると、国家間、テロ組織などの論理とは遠い処で、さまざまに引き受けた傷を自身で癒していく努力を続けなければならない。その落差こそが米国を今も苦しめている。
この物語は決して9.11を批評してはいない。あのような大きな衝撃でなくとも、人は日々の生活の中でも傷を負い、少しばかりは精神の均衡を失いながら生きている。それを癒すべく努力している人たちの友情と愛の物語だ。
アランはアフリカ系アメリカンでニューヨークの歯科医。市内に小綺麗なクリニックを持ち、家には美しい妻、ジャニーン(ジェイダ・ピンケット=スミス)と娘が待っている。ある日、9.11で妻子を失くし、消息不明となった大学時代のルームメイト、チャーリーを街で見かける。車の窓越しに呼びかけるが、彼の声は届かない。渋滞で身動きもとれない。ぼさぼさの頭にヘッドフォン、だぶだぶの服を着て、手にはペンキ缶をぶらさげたチャーリー。歯科医とは思えない風体だった。
アランもストーカーのような異様な行動をとっている。相手は彼のクリニックと同じビルで開業しているアンジェラ・オークハースト(リヴ・タイラー)だ。彼女が精神科医という職業柄、辛うじて許されてるようなものだった。
その日もアランは仕事帰りの彼女を待っている。姿を見かけると、すぐ"例の友人の件"を相談し始める。その友人の悩みとは、「幸せな家庭を持っているが、一緒に息抜きができる男友達がいない」というもの。アンジェラは無料相談はできないと伝えるが、いつも同じことの繰り返しだ。
その夜は娘が友達の家に泊まるという。娘を送り届けた帰り道、アランは再びチャーリーと出くわす。「ルームメイトのアランだ」と告げるが、チャーリーはアランのことを知らないという。
わざと嘘をついているだろうか。それでも何らかの記憶が残っていたのか、チャーリーは自宅のアパートに招いてくれた。一歩、足を踏み入れると、不思議な光景が広がっていた。日常生活に必要な家具はほんどない。それなのに、目に付くのは所狭しと置かれた大量の中古レコード。居間には大きなモニターが置かれ、TVゲームの画面が映っている。リフォーム中らしいキッチン、ドラムやギターが並ぶ音楽ルーム。チャーリーが歯科医をしていないのは確かだった。
再び、アランはチャーリーのアパートを訪ねる。すると、チャーリーはアランを原付スクーターの後ろに乗せると、ニューヨークの通りへ飛び出していった。
二人が着いたのは、いかがわしそうなクラブ。最初は躊躇してアラン。中に入ると、チャーリーは、舞台に上がり、ドラム演奏し始めた。そういえば、学生時代、二人でよくジャム・セッションをしていた。記憶が蘇った。
出番を終えたチャーリーと思い出話をしていたが、亡くなった家族に話題が及んだ瞬間、彼は突然、大声で怒り出し、アランにドリンクをかける。アランには何が起こったのかわからない。彼は、夜のニューヨークの街角に呆然と立ちつくしていた。
アランのクリニックにドナ・リマー(サフロン・バロウズ)が歯のホワイトニングをして欲しいと訪ねてきた。受付係りの女性がアランに彼女は何処か挙動がおかしと告げたが、大切な患者だ。彼は意に介さない。二度目の診察の時、彼女は突然、アランの前に跪き、性的な行為に及ぼうとする。アランは彼女を追い返し、二度と来るなと宣告する。
そのままで彼女は収まらなかった。診察時にアランから性的暴行を受けた件で訴えるといってきたのだ。クリニックの同僚たちはアランに責任を押し付け、かばおうともしない。アランも新たな問題を抱え込むことになった。
ある日、アランは初老の女性に話しかけられる。その女性は、チャーリーの亡くなった妻の母親、ジンジャー・ティンプルマン(メリンダ・ディロン)だった。彼女からチャーリーがどのように暮らしているのかを聞くことになる。
チャーリーは、家族を亡くした後、歯科医を辞め、航空会社と政府の慰霊金や生命保険で生活していること。自分には家族などいなかったといい、心を閉ざし、身内である自分たちにも会おうとしない。そんな彼が心配だと彼女は話す。
アランはチャーリーが気になって仕方ない。二人は頻繁に会い、共に時間を過ごすようになる。少しばかり立場も逆転する。アランはチャーリーに仕事の愚痴を話したり、音楽ルームで昔のようにセッションしたり、TVゲームに熱中したりしている。何故かチャーリーと一緒にいるとほっとする自分に気づいていく。
ある晩、チャーリーはオールナイト映画にアランを誘う。明日の診療を考えれば、帰宅しなければならない。アランも、チャーリーといると、そんなことはもうどうでもよくなっていた。突然、携帯電話がなった。アランの父が急死したという。アランはチャーリーにそのことを告げ、すぐに帰ろうとするが、チャーリーはしつこく朝食に誘う。
アランもその時ばかりは業を煮やし、彼を置き去りにする。チャーリーはどうしても一人になりたくなかったに違いないのに。
父の葬儀も終わり、家族が集まっていると、そこにチャーリーの会計士と名乗るシュガーマン(マイク・バインダー)が訪ねてくる。「チャーリーが君に100万ドルを贈与するといっているが、そうはさせない」と彼はいきまいている。チャーリーは謝罪のつもりだったらしい。「そんな金は要らない」とってアランは彼を追い返す。
そんな騒動があったにも関わらず、二人の交流は続いていく。周りの人たちは、二人のどこか子供じみた交流に眉をひそめている。
アランは、何とかチャーリーを現実の社会に引き戻せないかと考え始めていた。それでもあの問題に触れようとすると、チャーリーは感情を露わにし、激しく反発する。チャーリーがクリニックに訪ねてきたある日、彼がその話題に少しでも触れると、暴れだした。
そこに最悪のタイミングでドナが現れる。彼女は、夫に長い間、隠れた愛人がいたこと。その裏切によって不幸な結婚生活を送っていたのを打ち明け、アランへ謝罪する。
仕事も手がつかないアラン。疲れ果てて帰宅すると妻のジャニーンは「あなたはチャーリーの自由を羨んでいる」と詰問する。はっとして返す言葉を失うアラン。妻もチャーリーに執心するアランへの不満を募らせていた。問題はあちこちに波及し始めていた。
チャーリーも少しずつアランを理解していく。夜のカフェでたわいない話をしている二人。チャーリーはどこか上の空のアランを逆に気遣っている。
お互いに気遣いをし始めた二人。そんな変化の中で、ようやくチャーリーはセラピーを受けることに同意する。彼が紹介したのは、あのアンジェラだった。
アンジェラの前に無言で座っているチャーリー。セラピーが何度か続き、こんなことをしても結局、無駄だと、出て行こうとするチャーリーに彼女は提案する。
「私でなくてもかまわないから、家族を一度に失ったことについて話してほしい」と。ドアの外でアランが待っている。やがてチャーリーは静かに話し始めた。娘たちのこと、飼っていた犬のこと、最愛の妻のこと、そしてあの日のことを。今でも家に戻ると、家族の幻影を見ることも……。
ようやく心を開いたチャーリー。彼を心配している亡くなった妻の家族は、彼を精神科の病院に入れようと試みる。彼らなりにチャーリーのことを思ってのことだった。何としてもアランは止めようし、裁判所の判断に委ねる。
審判の日、妻の家族は、法廷でアランに妻子の写真を見せ、記憶を呼び覚ましてもらおうとするが、チャーリーはヘッドフォンを耳に押さえたけ、何も聞きたくないと身を縮めてしまう。
アランとチャーリーの義母、義父を前に、ドナルド・サザーランド(レインズ判事)は告げる。チャーリーのことを本当に考えているのか。もしもあなたの娘が生きていれば、彼を入院させるのかと。
ある日、チャーリーは自宅から姿を消す。アラン、アンジェラ、そしてドナが仕組み、彼を強制的に引っ越させたのだ。新居で四人はしてやったりとほくそ笑んでいる。やがてドナはチャーリーに話しかける。チャーリーも静かにそれに応えていく。リフォーム中のキッチンも使われるのを待っている。アラン、アンジェラは部屋を後にした。
この物語には他にも主役がいる。ひとつはニューヨークの街だ。サフロン・バロウズ(ドナ・リマー)は「チャーリーとアランが夜、スクーターで外出したり、午前3時に中華を食べたりといったシーンがあるんだけれど、それは全部、ニューヨークで暮らしている人が、少し寂しくなったり、悩んだり、あるいは単に自由を味わいたくなったりした時にすることの一例なの。彼らの思いを、街がすごくよく代弁しているわ」と語っている。
この物語の背後に流れている数々の音楽も主役に違いない。本作の原題「Reign Over Me」は英国のバンド、ザ・フーが1973年に発表したアルバム「四重人格」(73)の楽曲「Love,
Reign o'er Me(愛の支配)」からとられている。その他にも、70年代、80年代を飾った楽曲が耳に心地よい。
それについて、監督のバインダーは「人は人生の或る時期に聴いていた音楽にしがみつくものだが、チャーリーの場合は妻と出会う以前の時代にしがみついている。それで時代をさかのぼって、70年代、80年代の音楽にこだわっているわけだ。それ以降に耐えてきたものすべてから逃れるためにね。彼はあの時代の音楽に逃避しているのさ」と語っている。
二人の男性を取り囲む女性たちの存在も忘れられない。アランの妻のジャニーンは、帰宅しても、どこか心ここにあらずのアランを気遣いつつ、彼の抱える問題に触れられないのに苛立っている。問題があれば、話して欲しいのに。"例の友人の件"とはアラン本人のことだ。
精神科医として若すぎるのでは。アンジェラもまた気後れを隠している。訪ねてくる患者へのセラピーには、逆にそれがよいのかもしれない。チャーリーとの交流の中で、アンジェラの方も心を開いていく。
酷い夫からの裏切りに合い、その空白を埋めるために、どんな手段でも誰かと触れ合いたいと願っていたドナ。精神の病の一歩手前まで行ってしまった彼女。だからこそ、チャーリーも安心して、彼女に親しみを感じていった。
同じ街で暮らし、同じ時代を生きている登場人物たち。それぞれが心の傷や面倒な問題、行き場のない不満も抱えている。大人になってしまえば、それらを理解し、共有できるとは軽はずみにいえない。ただ、この物語の登場人物たちがしたように、できることもある。
それは関係性の中に、勇気を出して、自らの影の部分を投げ出すこと。勿論、そんな一般論ではすまないだろう。哀しいかな、人は優しさの対象さえも選ぶからだ。その意味で、登場人物たちの物語は、エンドロールが終わった瞬間から、スクリーンの向こうへの旅へと誘われている。
◆監督・脚本:マイク・バインダー
◆音楽:ロルフ・ケント
◆出演:アダム・サンドラー、ドン・チードル、ジェイダ・ピンケット=スミス、リヴ・タイラー、サフロン・バロウズ、ドナルド・サザーランドほか
◆2007年/米国/上映時間87分
◆公式ホームページ
http://www.sonypictures.jp/movies/reignoverme/
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