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2008年11月5日13時。各メディアはオバマが第44代アメリカ大統領となったと一斉に伝えた。その後、オバマは勝利宣言と共に、今こそ融和の時だと、南北戦争で最大の国家分裂の危機に遭遇したリンカーンの言葉も引用して語った。
CNNによると、すでに政権委譲の作業が開始されたという。政治とは冷徹なものだ。それでも、今、世界中で一番、ほっとしているはブッシュではないか。これでテキサスの牧場に帰れる。パパブッシュの呪縛からも解き放たれる。第一期の就任式の際、彼はパパブッシュの方に視線を向け、「とうとう大統領になってしまったよ」ととまどいの表情を見せた。それが彼の全てだった。彼の物語はアメリカを前進させることはなかった。
泡沫候補といわれ、予備選ではエコノミーに乗り、空港からはタクシーで移動。そこまで資金面でも枯渇したマケインは共和党内の力学の空隙をぬってカンバック・キッドとなった。それでも彼の物語は結果的に自身の中だけに内閉し、アメリカ国民の物語とは結びつかなかった。
政治的同志として数十年間に渡り、共に歩いてきたクリントンとヒラリー。その二人の物語もアメリカの灯火を次の世代には手渡せなかった。
オバマの物語は違った。彼の個人史はアメリカ国民の物語と同期し、新たな物語を紡ぎ始めた。
アメリカとの初めての出会いは昭和30年代、小学生の頃。すぐそばに白人のアメリカ軍人が日本女性と一緒に暮らしていた。あの家に行っては行けないよ。そんな秘密の匂いがすれば、物珍しさには勝てず、時々、近づいて行った。
「行っては行けないよ」。その女性に周りの大人たちは、普段は普通に接していたが、影では侮蔑的な言葉を語っていた。戦後が色濃く残っていた時代だった。二人には可愛がってもらった記憶がある。ある夏の日、二人の友人たちと海水浴に連れて行ってもらった。ピカピカの何台かのアメ車に分乗して、鎌倉の海に向かった。ラジオから流れているのはアメリカ音楽。若いアメリカ人と日本女性のカップルたち。甘酸っぱいように記憶。それがアメリカとの出会いだった。
東京郊外の新興住宅地に引っ越し、その後の二人の消息は知らない。近くには、今は自衛隊の駐屯地となっているが、当時はアメリカ軍のキャンプがあった。高い塀の向こうには、貧しかったこの国とは全く違う風景が広がっていた。広々とした芝生の緑を鮮明に覚えている。
高校生になると、ベトナム戦争が泥沼化し、テレビでも悲惨な映像が放映されるようになった。何かが間違っている。アメリカへの疑念が芽生えた。塀越しのキャンプ内の風景にも変化があった。400メートルトラックを隊列を組んで走っているアメリカ軍人。先頭には星条旗。これからベトナムに向かう兵士たちだったと思う。早くベトナムに行ってしまえと塀越しに石を投げ、逃げ帰った。
浪人時代、新宿のジャズ喫茶に通った。ベトナム帰りの兵士が大声で叫ぶように話していた。何かが壊れている。どうせ人殺しをしてきたに違いない。それでも初めて買ったレコードはスコット・マッケンジーの「花のサンフランシスコ」。アメリカでは黒人たちが公民権運動を闘っており、反戦運動も盛り上がっていた。アメリカにアンビバレンツな思いをもった。
社会人となり、仕事で訪ねたのはニューヨーク、ワシントン、サンフランシスコの大都市。それ以外のアメリカは知らない。湾岸戦争後、ニューヨークには星条旗が街に溢れ、異様な高揚感があったのを覚えている。9.11の直前、あのツインタワー下のスターバックスで飲んだコーヒー。それらが個人的なアメリカ体験だ。
バラック・フセイン・オバマ・ジュニア(Barack Hussein Obama, Jr.)。1961年8月4日、ハワイ・ホノルル生まれ。父親はケニア生まれのイスラム教徒、母親はカンザス州出身の白人。初のアフリカ系アメリカンの大統領。
大統領選挙を前に、日本の各メディアも特番で彼の今日に至る道筋を紹介していた。そこから今日、起こったことは何なのか。それを考えてみたくなった。
ハワイでは母方の祖母の家で育った。自伝にあるが、露骨な人種差別的な扱いも受け、高校生時代にはマリファナにも手を出し精神的にも、ひどい状態だった。ハワイを旅立ったオバマはコロンビア大学を卒業後、シカゴに移り、貧しい黒人地区で、彼らの生活支援などを行うコミュニティー・オーガナイザーとなった。シカゴの黒人コミュニティー。よそ者には強い警戒心をもつ、排他的な地域。そこに入っていったオバマは当初、なかなか受け入れられなかった。その時、投げかけられたのが「あいつは本当の黒人なのか」という言葉。オバマは、この言葉にある自らの中の一種の分裂を内面で統合することで、大統領に至る物語を紡いでいったに違いない。
彼は奨学金を得てハーバード大学ロースクールに入学する。当時、ロースクール内にはアメリカの現状を巡り、左派、右派の激烈な論戦があった。その対立の調整役としてオバマは能力を発揮し、信頼を得ていく。オバマは「Harvard
Law Review」の編集長に立候補し、当選する。初のアフリカ系アメリカンの編集長。
編集長となったオバマは対立する右派から編集委員を登用し、しかもアフリカ系アメリカンは選ばなかった。同時期にロースクールに在席し、今は教授を務めている友人は以外だったと語っている。オバマは、対立を調整し、それを政治的融和へと繋げる能力を発揮し始めた。
卒業後、オバマはシカゴに戻り、人権派弁護士として活動する中、再び、貧困層救済の草の根の社会活動に参加する。1997年にはイリノイ州議会上院議員に選出され、2004年まで務めた。この時期、オバマは、黒人コミュニティの中心であるトリニティ教会に通い、ライト牧師と親交を結んだ。やがて大統領予備選に際して、このライト牧師の過激な発言が彼の立場を危うくし、結果的に決別という決断をする。
「あいつは本当の黒人か」。オバマはアフリカ系アメリカンのコミュニティーに近づくことで、自らのアイデンテイティを確かめたかったに違いない。背景には政治的な思惑もあっただろう。しかし、ここでもオバマは自らの物語に気がつく。
特番で放映された「黒人への差別を続けているアメリカを神は呪っている」とのライト牧師の説教。ライト牧師は苛烈を極めたかつての公民権運動の痛みから逃れられなかった。「あいつは本当の差別との闘いを知らない」。オバマにとってはそんな旧世代となったアフリカ系アメリカンとの和解も重要なテーマとなった。
NHK総合の特番に登場した55歳のアフリカ系アメリカンの男性。子供の頃、街の公園に行くと、「黒人の遊べる曜日ではない」と追い返されられたという。彼の世代は、多くの犠牲者まで出しながら勝ち取った公民権の大切さを知っている。そして、そんな前世代の闘いを引き継ぎ、オバマが大統領選を闘うまでになったとの思いを語った。オバマは、アフリカ系アメリカンの前の世代との融和にも努力を続けている。
「あいつは本当の黒人か」「あいつは本当の差別との闘いを知らない」というアフリカ系アメリカンのオバマに対する複雑な感情。翻って白人層からみれば、オバマはアフリカ系アメリカン。そんな白人層から共感も得なければならなかった。
鉄の街、ピッツバーグ郊外の街に住む中年の白人男性の言葉が印象的だった。「ブッシュが酷すぎたからオバマに期待したいが、オバマという名前を思い出すと、何か心地よくない....」。正直に語ったと思う。彼は人種差別には反対だと語ったか、子供時代には周りの大人たちが差別的な発言をする中で育った。この「何か心地よくない....」という思いの中に、人種差別の根深さと解決の難しいさが潜んでいる。
「オバマ52パーセント、マケイン48パーセント」と語った彼がどちらに投票したのかはわからないが、オバマの登場によって、白人層の中に、自らに潜む差別意識に気づき、悩み、結論を出さざるを得ない状況が作られた。ここに次のアメリカへと向かう希望がある。
2004年、オバマはイリノイ州選出の合衆国上院議員に初当選する。そして、ジョン・ケリー上院議員を大統領候補として選出した2004年の民主党大会で、あの有名な演説をした。
「リベラルのアメリカも保守のアメリカもなく、ただアメリカ合衆国があるだけだ。ブラックのアメリカもホワイトのアメリカもラティーノのアメリカもアジア人のアメリカもなく、ただアメリカ合衆国があるだけだ」「イラク戦争に反対した愛国者も、支持した愛国者も、みな同じアメリカに忠誠を誓うアメリカ人なのだ」。
ケニア出身の父親と白人の母親。6歳から10歳までは母親の再婚相手のインドネシア人の義父とインドネシアで暮らした経験。「黒人がそばを通ると怖い」と語った母方の祖母と暮らしたハワイ。シカゴ時代に投げかけられた「あいつは本当の黒人なのか」との言葉。公民権世代のアフリカ系アメリカンのオバマに対する「あいつは本当の差別との闘いを知らない」との複雑な感情。そして、「何か心地よくない....」との白人層に潜在する差別意識。
決して運命は信じないが、オバマの経歴を知ると、彼は、この時代、この時に登場すべく現れた人物のように思える。それでも、カリスマを作ってはいけない。冷静に考えるべきだ。
オバマの個人史を知ると、彼には内面において、社会生活において、常に分裂の危機を抱えていたように思う。彼は、その危機を自らの力によって切り抜け、統合への物語を紡いだ。アメリカ国民は、そのオバマの物語の中に、統合と融和への希望を見たに違いない。
遠く離れた島国で見ていても、これからのアメリカに起こることへの恐れがある。暴力を内包した社会。大統領暗殺の歴史も持つ。
オバマが紡いだ物語を、現実の政治の中で実現しなければ、その反動は余りにも大きいのではないか。その意味では、アメリカ史上、最も困難な課題をもってオバマは大統領に就任する。
[2008.11.05]
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