迷走を続ける自衛隊、防衛省。3月23日、防衛大学校で卒業式があった。女子を含む415人が卒業し、任官拒否は26人。4月以降、彼らは幹部候補生として配属される。凛々しい制服姿、恰好良い。ちょっと待てよ。何気ない普段の生活からはかけ離れたバーチャル空間での出来事のよう。そこに「軍隊」の秘密が隠れている。
新聞各紙に、漁船との衝突事件の調査報告書が掲載され、自衛隊、防衛省は正式にイージス艦側の非を認めた。艦橋の左右にあるデッキで、航路を監視する隊員は、通り雨が降っていたので、艦橋内に避難していた。かつての高官が、テレビ・ニュースのインタービューに答え「考えられないことだ」「緊張感が欠如している」と猛省を促していた。
その言葉に違和感を覚えた。衝突事故を防止する責務は自衛艦だけに求められるものではない。国民の生命と安全を守る自衛隊だからこそ、より高い倫理観と緊張感をもって責務を果たすべきだとの言葉は、耳に心地よいが、内向きに閉ざされ、自衛隊にだけ向けられている。平時だった東京湾、一般艦船としても通常の海上交通ルールを守れなかったのが問題。どこかに「軍隊」だからとの思いが含まれている。
自衛隊は、創設以来、交戦状態の中で一発の銃弾も撃たなかった。そんな歴史的な経緯を経て、現在の自衛隊とはどんな存在なのかを、凛々しさとは対極の側面から考えてみた。
決して戦争ができない「軍隊」としての側面。自衛隊にとっては大きな自己矛盾だが、これはよいことだ。 何故、自衛隊は戦えないのか。それは憲法の規定と共に、自衛隊を構成する一般隊員の意識にあるとも考えられる。
1970年の4月、外資系の広告代理店のアルバイトで、西日本各地を一週間の旅程で回った。コンピュータがランダムに指定した市町村の役場を訪ね、特定の住所、地番の住民票を書き写す。一日目は姫路で作業を済ませ、山陽本線の三原から呉線で呉に向かった。
三原駅のホームで列車を待っていた時、坊主頭に、学生服の少年が、父親とおぼしき男性とベンチに座っていた。男性は、忘れ物はないな、欲しいものはないかと、何度も少年に聞いていた。少年は無言だった。就職で大阪にでも向かうのだろうか。だとすると、反対側のホームだ。二人の会話から少年は呉の自衛隊に入隊するのがわかった。
28年前、敗戦からは25年。呉線沿線には毒ガス島として知られる大久野島があったし、呉は旧日本海軍の軍港であった。戦争にまつわる過去を思い起こしていたからか、戦前に、軍隊に入隊する息子を父親が見送っている場面に立ち会っているかのような錯覚を覚えた。
その後、西日本各地を回る間中、東京では見かけない自衛隊員募集のポスターがやけに目に付いた。今ほど豊かでなく、進学率も低かった時代。地方都市の青年にとって、自衛隊は将来に向けて有利な「就職先」と考えられていたに違いなし、自衛隊も地方都市中心に、一般隊員のリクルートを積極的に行っていた。合致した両者のニーズ。自衛隊入隊の動機には、戦場に出て命を落とすこともないだろうとの思いもあったはずだ。
「三食付きで、手当てがもらえて貯金もできるし、大型自動車免許でもとれれば御の字だ」。防衛大学校を卒業した幹部候補生は違うのだろうが、おおっぴらには聞こえてこない本音。市井の人たちは、今でも、そんなことを思っている。
自衛隊がイラクのサマワに駐留したのは、特異なキャラクターの小泉純一郎という政治家と、米国民にとって鬼っ子のようになってしまったジョージ・ブッシュという大統領が、歴史の偶然で意気投合した結果の稀な事例だった。
課題を抱えつつ、中国とはうまくやって行く以外ないし、北朝鮮が日本海を越えて我が国を侵略できるとは思えない。冷戦も終わり、仮想敵国は実質的にはなくなった。当面は自衛隊が戦争をする状況は起こらないだろう。
危機を煽る中で、「庁」を「省」に昇格させ、さらに「隊」を「軍」としようと画策しているのは政府だ。巨額な予算は、いかにもお手盛りで独占的に関係企業に流れ、天下り先の特殊法人もいまだに数多く、存在する。
米国のベトナム帰還兵の言葉を思い出す。「俺たちは戦争を始めた連中に命令されたからベトナムにいっただけだ」「戦争をしない方法は戦争を始めた連中を最前線に送ることだ」「連中は最前線に行きたがらないから、戦争はなくなる」。彼らは有事があっても最前線には行かない。最前線に送られるのは、自衛隊を「就職先」だと考えているような人たちだ。
決して戦争ができない「軍隊」。これはよいことなのだ。
一方で、決して戦争ができない自衛隊は強大な武器を装備しているとの側面もある。1968年、高校三年生、ベトナム戦争反対のデモを計画していた。辺りが暗くなった校舎で仲間たちと議論したのは、自衛隊の治安出動についてだった。
治安出動。一般の警察力をもって治安を維持できない場合、自衛隊法78条1項により、内閣総理大臣は、「間接侵略その他の緊急事態に際して、一般の警察力をもっては、治安を維持することができないと認められる場合」には、自衛隊の全部または一部の出動を命ずることができる。
当時、セクトと呼ばれた学生政治組織は、しばしば街頭で機動隊と衝突を繰り返していた。我々は平和裡にデモするつもりだったが、街頭に出れば、何が起こるかわからない状況もあった。事実、デモ先で機動隊に追いかけられ、棍棒で数発殴られ、散り散りに逃げ帰ってきたこともあった。その後の待ち合わせの喫茶店。声も出なかった。
幼かったと笑うこともできる。それでも、政府、国家権力に異議申し立てをした場合、自衛隊と対峙し、銃口を向けられ、命を落とす可能性があると一瞬だけでも想像したのは確かだった。
この国では、かつてのような政治の季節は終わった。年金問題ひとつをとっても、もっと怒りを露わにしてもよいと思うが、街頭で衝突するほどの先鋭的な対立にはなり得ていない。それでも可能性として、決して戦争はできない自衛隊が治安出動できるのを忘れない方がよい。
曖昧な根拠だが、安心感もある。勇ましくも、猛々しい話は聞こえてくるが、いぜんとして、一般隊員の多くにとって、生活感覚的には自衛隊が有利な「就職先」だとすると、彼らは、命令されても、国民に銃口は向けないのではないか。
特攻隊の知覧基地で涙を流した小泉氏。心理的に通底した思いで、勇ましくも自衛隊をサマワに送ったが、有事となっても彼は決して最前線では闘わない。「就職先」からサマワに送られた一般隊員。誰もおおっぴらには語らないが、迷惑だったはずだ。自衛隊は軍隊にはなれない「軍隊」。これもよいことだし、すでに、平和ぼけだといわれながら、この国ではその存在自体がバーチャルとなりつつある。
[2008.03.23]
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