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 ジャズやホップスもいいけれど、クラシックもいい。聴くのは気持ちを落ち着かせる時。といってもマニアではないので、いつも定番ばかり。

 何でこんなに美しい旋律が生まれたのか。パトロンに呼ばれ、ヨーロッパ各地を流浪した高等遊民のような生活。安心して定住できる地もなかった。時には戦時や争乱に巻き込まれ、沢山の恋もあった。溢れるような才能に恵まれながら、きっと孤独だった彼ら。その旋律には清逸な哀しみを感じてしまう。




 ピアノの詩人と呼ばれたショパン。1810年にポーランドのジェラゾラ・ヴォラで誕生。早熟の天才だった。6歳でピアノレッスンを始め、8歳で最初の演奏会を開いている。

 20歳の時、祖国ポーランドの政情悪化でウィーンに移住、翌年にはパリに移り、その後、生涯、祖国に戻ることはなかった。

 パリでは女流作家のジュルジュ・サンドと暮らしている。先日、テレビのクラシック番組をみていたら、彼はサンドの子供ともとても仲良く暮らし、周囲の人たちからはまるで本当の親子のようであったとの逸話を知った。この時期、唯一の子守歌を作曲しているそうだ。

 伝記を読むと、とにかくヨーロッパ中を転々と旅行している。それでも祖国には帰れない。やがて1847年にはサンドとも別れ、翌年にはイギリス公演旅行。健康を損ない、1849年にパリで没した。

 定番の「別れの歌」。彼はこの曲を22歳で作曲している。この曲をピアノ演奏する才はないが、それでもギターで旋律を何度もなぞっていると、彼の奥深いところにあったに違いない哀しみに触れられるような気がする。


タイトル ショパン: バラード&スケルツォ全集、幻想即興曲/ルービンシュタイン
曲目 バラード第1番 ト短調 Op.23/バラード第2番 ヘ長調 Op.38/バラード第3番 変イ長調 Op.47/バラード第4番 へ短調 Op.52/スケルツォ第1番 ロ短調 Op.20/スケルツォ第2番 変ロ短調 Op.31/スケルツォ第3番 嬰ハ短調 Op.39/スケルツォ第4番 ホ長調 Op.54/即興曲第4番 嬰ハ短調 Op.66「幻想即興曲」(遺作)
(全9曲)
演奏 アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)
20ビットK2リマスタリング




 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。1756年ザルツブルクで誕生。神童といわれ、3歳でクラヴィア演奏、才能を示し、5歳で作曲を始めたといわれる。

 彼もヨーロッパ中を旅行し、当時の王侯貴族の前で演奏している。彼らは熱狂的なパトロン。彼はウィーンに居を定め、結婚し、息子をもうけている。

 ショパンと違い、彼は亡命者となることもなく、その意味では幸福だったのだろう。映画「アマデウス」では、自身の才能をひけらかす嫌なやつとしても描かれている。

 彼の楽曲には、希有な才能をもってしまったもの特有の突き抜けるように明るさがある。それでも、この明るさが何故か、くせ者だと感じる。明るすぎるからだ。

 定番のアイネ・クライネ・ナハトムジーク。時折、旋律の中には、深い悲しみが表現されている。一番、好きなのは、きっと彼の本領が最も発揮されたレクイエム。1791年12月5日、「レクイエム」作曲中に急逝した。

 彼の楽曲には、例えば「レクイエムK.626」のように「K」という記号が付けられている。この「K」はケッヘル。モーツァルトの楽曲を時系列的に整理し、「モーツアルト全作品目録」を出版したルートヴィヒ・フォン・ケッヘルに由来している。


タイトル モーツァルト:セレナード第13番 ト長調 K.525 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
曲目 ディヴェルティメント ニ長調K136/ディヴェルティメント 変ロ長調K.137/ディヴェルティメント ヘ長調K.138/セレナード第6番 ニ長調K.239「セレナータ・ノットゥルナ」/行進曲 ヘ長調K 248(全5曲)
演奏 イ・ムジチ合奏団
レーベル:Philips

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