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 すり切れるほどレコードを聴き、CDになってもずっと聴き続け、iPodに最初に入れたのがビル・エヴァンスです。これだけピアノか弾けたら、何もいらない。初めて聞いた時に、そんな思いにさせられたほど素晴らしい演奏の数々です。

 伝記「ビル・エヴァンス-ジャズ・ピアニストの肖像-」ピーター・ペッティンガー著(水声社)。彼が最も輝いていたのは、マイルス・デイビスなどと一緒に活躍した時代です。その伝記には不思議な状況があったことが書かれていました。

 当時、米国では、まだ黒人(アフリカ系アメリカ人)に対する差別が強く残っており、彼らが生きていく一つの手段として音楽・ジャズもありました。ジャズは彼らずよりどころにした音楽だったのです。

 そんな状況の中に、クラシックの素養をもち、まるでビジネスマンのような容貌のビル・エヴァンスが飛び込んでいきます。彼はウェールズ出身の父親とロシア移民の母親はとの間に生まれています。彼の演奏のどこかにスラブ的で、ロシアの叙情のようなもの感じるのは、そのためでしょうか。

 マイルスなどとの交流の中で起こったのが逆差別です。『俺たちの世界に「白は入ってくるな』という逆差別です。そんな彼を救ったのがマイルス・デイビスでした。 マイルスは彼の才能を見抜き、そんな仲間達の敵意を押しのけ、自らのバンドに参加させます。

 ツアーに出かけても、「白」の彼もアフリカ系アメリカ人への差別を身近に体験します。「何で白が黒と一緒にいるのか」。彼にも奇異の目が向けられます。そういった意味では、彼は二重に差別を体験したようなものです。

 一時も惜しんでピアノを弾いていたい。それ以外には全くの無頓着。ドラッグにも溺れ、生活も荒れていきます。ある時は、行き倒れのようになって見知らぬ人に助けられたりします。結構生活もうまくいきません。普通の生活者からみれば、彼は明らかに落伍者でした。

 それでも彼の指先からは、驚くほど、豊かな音が生み出されます。時に、才能は、自身の身を削るように働くものなのかもしれません。

 彼の来日コンサートのチケットを手に入れ、楽しみにしていた矢先に訃報が新聞に載りました。そんな記憶が蘇ってきます。もう20数年前。1980年9月のことでした。




 彼の本領が発揮されるのはマイルスの元を離れて結成したピアノ・トリオ時代です。メンバーはドラムスのポール・モチアン、ベースはスコット・ラファロ。そして世紀の名盤であるポートレイト・イン・ジャズ(Potrait In Jazz)を発表します。

 このビアノ・トリオで異彩を放っていたのがスコット・ラファロです。このトリオが出現するまで、ジャズ演奏におけるベースはリズム中心の縁の下の力もちのような存在でした。スコット・ラファロのベースはメロディーを奏でます。まるで二人が楽器で会話をしているようにです。

 特に好きなのがサンデイ・アット・ザ・ビレッジ・ヴァンガード(Sunday At The Village Vangard}です。

 ライブ演奏なので、聴いているお客の食器が触れ合う音も聞こえてきて、少しけだるい日曜日の夕方に、そこに座って彼らの演奏を聴いているように感じられます。

 しかし、これまた名盤のワルツ・フォー・デビー(Waltz for Debby)を録音したわずか11日後の1961年7月6日に、スコット・ラファロは交通事故で27歳の若さでこの世を去ってしまいます。

 モノクロ写真を見たことがあります。スコット・ラファロは、まだ少年のような面影で、慈しむかのようにベースを奏でています。

 このピアノ・トリオはアフリカ系アメリカ人が創造したジャズという音楽ジャンルを越え、まるで突然変異のように独自の世界を現出しました。スコット・ラファロの死後、彼は次々とベーシストを採用しますが、かつてのような演奏はできませんでした。そのことも彼を苦しめ、晩年まで喪失感を埋めることはできになったようです。

 定番中の定番ですが、これを聴かずには死ねない。そんな大げさな思いをさせられるような素晴らしいトリオです。

次回




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