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 レナードの朝(原題:AWAKENINGS)。いつまでも心に響くリアルストーリー。

 映画専門チャンネルなどで繰り返し放映されているので、観た人も多いはず。何度も観たのに、チャンネルを回して放映されていると、最後まで観てしまう。

 その時々の、こちらの心のありようで、新しい発見がある作品。病とは、正常とは何なのか。親子とは、男女とは、そして愛するとは何なのかを深く考えさせられる。




 物語の舞台は1969年のニューヨークのブロンクス。人付き合いが苦手で、風変わりな男、マルコム・セイヤー(ロビン・ウィリアムズ)がベインブリッジ病院に赴任してきた。彼は慢性神経病患者専門の専門医。病院にはさまざまな患者たちが収容され、暮らしていた。

 ボールペンの先に異様な反応を示す患者、病院内をただ徘徊し続ける患者。彼は、そんな中で、話すこともできず、彫像のように固まって動けずに、座っているだけの患者たちを担当することになる。

 ある日のことだった。偶然、セイヤーが遊び半分に、彼らにボールを投げると、瞬時に反応し、ボールを掴んだ。彼らは決して無感覚ではなく、何かの刺激を与えれば、反応し、症状は改善するのではないか。固まってしまったような無表情の背後で、精神は生き生きと活動しているのではないか。

 症状の改善に役立ちそうな実験段階の薬を見つけてきた彼は、病院長や理事会を説得し、投薬を始める。手始めに、最も重症の患者、レナード・ロウ(ロバート・デ・ニーロ)への処方を決意した。

 レナードが病院にやってきたのは11歳の時だった。それから約30年間、彼は昏睡状態のまま寝たきりの生活を送っていた。
 食事をとらせ、下の世話をするために通院してくる母親を訪ねたセイヤーは、発症時の状況などを聞き、実験的な薬だが、改善の可能性があることを説いた。母親から投薬の承認を受けた彼は、ある晩、ベッドに横たわっているレナードに薬を飲ませた。

 病院に残ったセイヤーが仮眠から目覚め、レナードのベッドに行くと、彼の姿はなかった。長い眠りから突然、目覚めたレナードはセイヤーに挨拶した。セイヤーも彼に自己紹介し、二人の交流が始まる。




 他の患者にも投薬すると、レナードと同じように、症状は劇的に改善し、彼らも目覚めを迎えた。かつてギャンブラーだったに違いない男はアフリカ系アメリカンの看護士からカードで時計を巻き上げていた。ジャズプレーヤーのデクスター・ゴードン演じる男は、まるで何事もなかったかのようにピアノを弾いていた。

 一人の女性患者の言葉が胸を打つ。セイヤーの相棒である看護士のエレノア(ジュリー・カヴナー)が話しかけると、彼女は余りにも変わってしまった容貌が哀しいと語った。彼女が発症したのは禁酒法時代。すでに白髪となり、少女の面影は失われていた。

 ある日、レナードは父親の見舞いに病院に通ってくるポーラ(ペネロープ・アン・ミラー)に出会う。外見上はすっかり健康に見えるレナード。彼女が話しかけると、彼は患者だと告げる。そして、自身の症状が改善したのだから、父親も必ずよくなると勇気づける。

 窓の外には帰宅するポーラの姿が見える。レナードは金網越しに彼女をいつまでも見送っていた。それをセイヤーは微笑みながら見つめていた。




 セイヤーは、そんな彼らを病院の外に連れ出そうと計画する。危険が大きすぎると反対する病院長や理事会を説得し、何十年ぶりかのニューヨーク・ツアーが実現する。当日、患者たちが次々とバスの乗り込んでいるのに、レナードは突然、行けないといいだす。彼は病院に残り、ボーラと二人だけの時間を過ごしたかった。

 やがて患者たちはレトロなダンスホールに到着する。ホールには患者たちが青春を過ごした時代のジャズが流れ、久し振りに着飾った女性患者たちは当時、流行ったダンスに興じていた。眠りに落ちていた何十年もの間に患者たちの境遇は大きく変わっていた。恐る恐るエレノアがある患者に夫の死を伝えると、「離婚しようと思っていたからせいせいしたわ」との言葉が返ってきた。患者たちは、今を再び、生き始めようとしていた。

 セイヤーとレナードも二人で外出する。時代は60年代の後半。街をゆく女性たちはミニスカートをはき、空にはジェット機が飛んでいる。驚きながらも、新しい人生の予感に喜びを隠せないレナード。

 そんな彼は、自分は正常なのだから、一人で街に出られると主張し、強引に外出しようとする。玄関まで到達した時、レナードは職員に力づくで止められ、拘束されてしまう。

 レナードの母親は、自立できると叫びながら、突然、自分の前に青年として姿を現し、女性に興味を示し始めた息子に苛立っている。彼女は息子がいつまでも眠り続ける子供であって欲しかったのだ。セイヤーはそんな母親を静かに諭していた。




 やがてセイヤーが恐れていたことが起こる。薬の効果が薄れ、症状が元に戻り始めたのだ。レナードは強い痙攣に襲われ、歯磨きや歩行も困難になる。危険を承知の上で、投薬量を増やしていくが、彼らの症状は悪化する一方だった。

 セイヤーと話していたレナードは突然、強い痙攣に襲われる。「僕の姿を全て記録して欲しい」と叫ぶレナード。そんな状態を直視できないセイヤー。それでも治療法の発見に役立つかもしれないから、写せと繰り返すレナード。やがて、彼らの目覚めは、一夏の幻だったかのように、終焉を迎えた。


 強い痙攣で鏡の前で髪も整えなれないレナード。ようやく身支度を終えたレナードは、ポーラが待つ食堂に向かって歩き出した。彼ほど症状が悪化していない患者たちは、自分もあのようになるのかと不安げに見つめている。

 ポーラの前に座ったレナードは、痙攣しながら、ポーラに切り出す。「もう僕は君には会えない」と。そう切り出さざるを得ないレナードの切なさが響いてくる。ポーラには分かっていた。彼がすでにかけがえのない大切な存在となったことが。
 一瞬、戸惑いをみせたポーラは、立ち去ろうとする彼を引き留め、抱き寄せる。音楽に合わせて踊り始める二人。ポーラがしっかりとレナードを抱き寄せると、彼の痙攣はもう治まっていた。




 いつものように遅くまで自分の部屋に一人で残っているセイヤー。彼はレナードが目覚めた時のフィルムを写し、眺めている。まだ帰らないのかとやってきたエレノア。彼は間違いを犯したのだろうかとエレノアに訊ねる。彼女は「あなたが辛いのは、レナードの友達だから。命は与えられ、奪われるもの」と語り、帰っていった。

 せっかくエレノアが誘いにきたのに自分は何をやっているのかと、落ち着かないセイヤー。ようやく勇気を振るって、窓越しに彼女を引き留める。「他に用事があれば仕方ないけれど....。二人でコーヒーでも飲まないか」。二人は夜の街に向かって歩き出した。

 身じろぎもせず、椅子に座ったままりレナードの前で、エレノアは本を読んでいる。彼の心は、彼女の思いを感じている。二人はかけがえのないものを見つけた。この夏のような劇的な目覚めは起こらなかったものの、患者たちは、その後も、小さな目覚めを繰り返したという。そして、セイヤー医師は、今も、精力的に彼らの治療にあたっている告知されてエンドロールは終わった。


監督:ペニー・マーシャル
原作:オリヴァー・サックス「レナードの朝」(翻訳:石館康平・石館宇夫)
脚本:スティーヴン・ザイリアン
撮影:ミロスラフ・オンドリツェク
音楽:ランディ・ニューマン
キャスト:ロバート・デ・ニーロ、ロビン・ウィリアムズ、ジュリー・カヴナー 、ルース・ネルソン、ジョン・ハード、ペネロープ・アン・ミラー、マックス・フォン・シドーほか

配給:UIP映画
1990/アメリカ/1120分

(c)1990 COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES,INC. ALL RIGHTS RESERVED.
写真:LOUISGOLDMAN/COLUMBIA/TheKobalCollection/WireImage.com

2009.09.07掲載
アイリスへの手紙(STANLEY & IRIS)
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