最新映画、話題作を観るならワーナー・マイカルで!
top pagemovieスクリーンの向こうへ










 アイリスへの手紙(原題:STANLEY & IRIS)。

 この映画のビデオを90年代の始めに米国に留学した友人に見せたことがある。「ああいう感じの人は確かにどこにでもいそうだ」とのことだった。ロバート・デ・ニーロもジェーン・フォンダも、映画が公開された1990年には、すでに社会的に成功していたのに、市井の人々の生活を演じる力量に驚かされた。

 CATVの映画専門チャンネルで観たには2001年9月だった。クリントン時代に好調を続けた米国経済も調整期に入り、しかも9月11日発生した同時テロにより、米国社会は混迷を深めていた。そしてこの映画の時代背景が1990年であるとすると、まだ不況の残存があったときであり、そんな中で、それぞれに苦闘している人たちの物語である。その意味で、2009年、今のアメリカを俯瞰できるかもしれない。

 主人公の二人が親しくなる過程で、英語の教材が大きな役割を果たしている。セールスマンの父親と各地を転々とした生活を送っていたため、読み書きができなくなったスタンリー(ロバート・デ・ニーロ)のために、勉強を始める前に、アイリス(ジェーン・フォンダ)が彼の経歴を聞き出すシーンがある。そんな教材を媒介として、お互いのことを語り始める。

 この映画の重要なテーマは、ボランティア精神とそれを支える教育システムが米国には存在することである。そして一組の男女が出会い、ひとつの家族としての再生を決意する物語である。




 菓子工場の勤めからの帰り、アイリスがバスの車窓をぼんやりと眺めていると、バスの後ろで男が突然、立ち上がり、彼女のバッグをひったくりバスから逃げ出す。彼女は、大声を上げ、その男を追いかける。それを見ていたスタンリーも彼女と男を追いかける。結局、バッグは奪われてしまうが、彼が彼女を自宅まで自転車で送っていくことで物語が始まる。

 彼は彼女と同じ菓子工場の食堂にコックとして勤めており、やがて二人は、声を交わす間柄となる。ある日、彼女が靴店で修理が終わった靴を履いていると、彼が入ってきて、店主に修理が終わった靴を出すように頼む。店主は引き替え券を出せという。彼は券を持っていないが、その棚の靴が自分の靴だと押し問答となる。彼は、棚から自分の靴を奪うようにして店を出ていく。彼女は、無言でそれを見ていた。

 勤務中に頭痛を起こした彼女は、調理場の彼に頭痛薬を出してくれるように頼む。しかし彼は、同僚が頭痛薬の所在を教えたにもかかわらず、薬のラベルを確かめることもなく、次々と彼女に薬ビンを差し出してくる。
 やがて食材の納品数の帳尻が合わず、彼は、責任者から問いただされる。それを見ていた彼女は、彼に責任がないことを伝える。何故なら、彼は文字の読み書きができなかったからだ。しかし、「文字が読めないのであれば、薬と調味料を間違えられると困る」という理由で、彼は解雇されてしまう。

 履歴書も書けない彼は、まともな職にもつけず、公園の便所掃除や道路工事などで生計を立てることとなった。家には、年老いた父親がいるが、経済的にも困窮し、やむを得ず、父親を老人施設に連れて行く。

 父綾はセールスマンとして長年、各地を転々としていた。夜はホテルで父親のポーカーの相手をし、学校に行くと眠っている。ようやく学校になれると転校を繰り返すという生活を続けていたのだ。
 施設に父親を訪ね、庭で髪の毛を切っている。彼は「とても良い親爺だったよ」と声をかける。そこには静かな時間が流れていた。

 職場を追われたのは彼女の責任でないのは理解しているが、後味の悪さからか、二人は街で会ってもお互いを避けるようになった。
 ある雨の日、仕事を終えた彼女が工場から出てくるのを彼が待っていた。一度は、話しかけようとするが、彼は躊躇する。ようやく彼女がバスに乗り込んだときに、彼は「文字を教えて欲しい」と彼女に声をかける。




 彼女も問題を抱えていた。家には、失業中の妹夫婦が同居しており、目の前で諍いを続けていた。娘は、妊娠し、彼女が問いつめても相手の男を明かさず、産むという。最愛の夫を病気で亡くしたばかりで、寂しさも募っていた。

 彼女は彼を図書館に連れて行き、読み書きの勉強を始める。最初は、お互いの素性を話すことから始める。こうして二人は、距離を縮めていく。

 アメリカは多民族国家である。英語の読み書きをできない人たちも沢山いる。レストランに入れば、英語以外でもメニューが記されている。そんな状況を背景に、ボランティアの協力を前提に、英語の教材などが図書館にも完備している。

 彼女の自宅で勉強が始まる。一方で二人は大人の男と女だ。彼は彼女に尋ねる。「こんな遊びみたいなことをいつまでやっているのか」と。簡単には成果が上がらない。彼は苛立ち、勉強を断念し、彼女の前から突然、姿を消す。
 ある日のことだ。彼が父親を訪ねると、ベッドは空だった。遺品を引き取るときに、施設の担当者が父親の名前のスペルを聞いても、彼はそれをいえなかった。

 彼女の息子が家の外に不審な人影を見つける。「もう長い間、外にいるよ」。不審に思った彼女が声をかれると、彼は、酔っぱらって彼女の前に現れた。とても勉強にならない。酔いを醒まそうと彼は洗面所で頭から水を被ると、服が濡れてしまった。彼女は二階に上げ、亡くなった夫の服を彼に着せようとする。夫の服がピッタリなのに気づき、彼女がそれを告げると、「僕は旦那の代わりではないよ」と微笑んでいた。

 今回も長続きはしなかった。彼女は、彼の家を訪ねる。定職につくことができない彼は、ガレージを借りて暮らしていた。その中に入り、彼女が目にしたにはケーキを自動的に乾燥させる機械だった。「ひとりでこんなものを作っているのが好きなんだ」
 彼の隠れた才能に驚く。そして「この街の人たちは、夜になると眠って、朝起きて仕事に行って、毎日、同じことをしているのに、こんなことをしている人がいるとは思わなかった」と彼に告げる。




 彼は彼女の息子と娘とも交流を深めていく。息子とは、公園を歩きながら、次々と植物の学名をあげていく。娘がシングルマザーとして出産する病院には付き添い、家族が一人増えて家に戻ると、彼が得意の料理の腕を振るった。そして、勉強も終わった。

 二人で図書館に行く。彼は書棚から次々と本を取りだし、大声を上げて、それを読み上げる。何も知らない人たちは不審な表情で二人を見ている。彼は彼女に「ここは僕の図書館だ」と伝え、二人は抱き合い、喜びを共にする。

 彼は、彼女を旅行に誘った。ホテルの部屋に入ると、彼女は、「死ぬのだったらここがいいわ」といいながら、鏡に向かっている。彼は「好きなものを何でも注文していいよ」と声をかける。こうして二人は結ばれた。

 読み書きをマスターした彼は、独学で身につけた機械製作の技術をアピールして、デトロイトの会社に就職を決めた。クリスマスツリーが飾られた空港で彼女は彼を見送った。別れ際に彼が「電話をするよ」というと、彼女は「手紙を書いて」と念を押した。彼女のもとには、彼から何通も手紙が届く。

 どの位、時間が流れたのだろうか。ある日の夕方、仕事帰りの彼女が大きな買い物袋を持って家路を急いでいると、近づいてくる車があった。窓が開き、姿を見せたのは彼だった。車に乗り込んだ彼女が「あなたの車なの」と尋ねると、彼は「ローンで買ったんだ」「銀行口座も開けたし」と伝える。「ボスがいい奴で、大学を出ていないたたき上げなので気も合うし、自分の部屋もあるし、もうすぐ昇進だ」。

 車を降りた二人は彼女の家の階段を上っていく。彼は「小さいけれど、家族で住める家を見つけた」と彼女に語る。彼女は「大変な家族なのよ」「いつも誰かが病気しているし、娘の赤ん坊もいて騒がしいし」「住みやすいように改造できるかしら」。彼は彼女に「Anything is possible」と伝えた。


監督:マーティン・リット
原作:パット・バーカー
キャスト:ジェーン・フォンダ、ロバート・デ・ニーロ、スウォージー・カーツ、マーサ・プリンプトン、ハーリー・クロス、ジェイミー・シェリダン、フェオドール・シャリアピンなど

配給:UIP映画
1990/アメリカ/104分

2009.04.02掲載
ファビュラス・ベイカー・ボーイズ(THE FABULOUS BAKER BOYS)
>レナードの朝(AWAKENINGS)
movie






Copyright (C) 2012 Archinet Japan. All rights reserved.