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 フリーダム・ライターズ(Freedom Writers) 。

 主演は「ボーイズ・ドント・クライ」「ミリオンダラー・ベイビー」で2度のアカデミー賞主演女優賞に輝いたヒラリー・スワンク。実在の英語教師とその生徒たちによるベストセラーを基に、彼女は初めてプロデュースも手掛けた。

エリン・グルーウェルとフリーダム・ライターズ著・講談社
 1994年、ロドニー・キング事件を機に発生したロス暴動直後、郊外にあるロングビーチのウィルソン高校に若い英語教師エリン(ヒラリー・スワンク)が着任した。

 人種、ドラッグ、暴力、家庭崩壊など多くの問題を抱え、基本的な学習能力さえもたない生徒たちを担当する。過酷な環境に生きる若者たちと彼女はどのように関わっていったのか。

 実話に基づくリアリティを背景に、誠実で真摯な主人公をヒラリー・スワンクが演じきっている。

 7月21日(土)よりシャンテシネほか全国順次公開。




 1992年4月29日、アフリカ系アメリカンのロドニー・キングを暴行したロス市警の白人警官への無罪評決が下された。それをきっかけにロサンゼルスでは大規模な暴動が起こる。

 物語はその暴動のシーンから始まる。アフリカ系アメリカンの若者たちが車から白人を引っ張り出し暴行を加えている。韓国系のマーケット店主は防衛のため銃を水平に撃っている。

 ロス暴動から2年後の1994年、ロサンゼルス郡ロングビーチ。様々な人種が通うウィルソン高校では、登校も下校も命がけだ。

 MTVではギャングスタ・ラップ音楽を繰り返し流し、ロングビーチには銃を手にギャング化したアフリカ系、ラテン系、アジア系アメリカ人らのコミュニティが対立しあっていた。子供たちも例外ではない。「ロングビーチでは肌の色がすべて。浅黒いか、黄色か、黒か。一歩外に出たら戦場」。

 校内では、肌の色ごとに徒党を組み、バッグには銃かナイフを忍ばせている。人種間の憎しみをむき出しにし、ちょっとした挑発で喧嘩も日常茶飯事。誰もが18歳まで生きられれば、十分だと思っていた。

 そのウィルソン高校203教室に若い女性教師が着任してきた。エリン・グルーウェル、23歳。大学では法律を専攻し、弁護士になるはずが、「法廷で子供を弁護するのでは遅過ぎる。教室で子供を救うべきだ」と教師になった。しかし、教室には白人生徒が1人、まして支配階級である白人の女教師は、生徒たちには敵であり、別世界の住人でしかない。

 教科長のマーガレット(イメルダ・スタウントン)から手渡された資料を見ると、生徒たちの成績はすべてD以下。そこには「保護観察中」「少年院」などの文字が並んでいる。
 英語が母国語ではない生徒がほとんどで、英語の基本的なボキャブラリーや筆記のスキルもおぼつかない。生徒たちは高校に通っている意味を考えることもなく、死への恐れと目標のない空しさの中で日々の生活を送っていた。




 米国では、公民権運動などを背景に、少数派人種に対して平等な教育機会を与えるとの政策が実施された。1954年には、最高裁で「公教育の場に於ける人種分離教育は違憲」との判決が出されており、アフリカ系アメリカンへの公教育環境を一新する契機となった。

 それらの歴史的な背景からウィルソン高校でもさまざまな人種の人たちに公教育を与えるための施策が実施された。結果としてアフリカ系アメリカンだけでなく、スパニッシュ、コリアン、チャイニーズなどの生徒が教室に通ってくることとなった。

 かつてウィルソン高校は有名な進学校であった。公教育の平等との理念は正しかったが、このような状況下、豊かな白人たちはウィルソン高校を去り、ストリートの対立がそのまま教室内に持ち込まれた。一方で、それらの問題に対する有効な対策は施されていなかった。若い英語教師エリンは、たった一人でこの問題に立ち向かっていく。

 生徒たちは教室内でも人種ごとに集まり、ことさら自らのアイデンテイティをひけらかすように、母国語で話している。英語の勉強....。彼らにとっては「英語」は支配階級の白人たちの使う言葉だ。どうやって英語の授業に興味をもってもらうのか。

 彼女は人種を越えて若者たちに人気のあるラッパーの歌詞を詩の教材に取り入れる。ラジカセも持ち込み、ラップをかける。自然に生徒たちは身体でリズムを取り始める。今がチャンス。歌詞を印刷した手作りの教材を配り始める。

 ある日、授業中にラティーノのティコ(ガブリエル・チャヴァリア)が悪戯書きをしていた。そこには唇を極端に厚くデフォルメした絵があった。アフリカ系アメリカンのジャマル(ディーンス・ワイアット)を馬鹿にした絵だった。

「こんな絵を博物館で見たことがあるわ。黒人とユダヤ人は下等だとね」....。エリンは、かつてナチス政権下でユダヤ人を揶揄するために、彼らの鼻を大きく描いた絵が存在したこと。第二次大戦のホロコーストがこうした差別から生まれたことを説明する。

「ホロコーストを知っている人は」....。驚いたことに、生徒たちは誰ひとりとして知らなかった。
 エリンは、「アンネの日記」を教材として使用することを思いつく。早速、キャンベル教科長に提案するが、「あの子たちに知的興味を持たせるなんて無理よ」と拒否され、「予算の無駄だ」とまでいわれる。

 エリンは教室の真ん中に一本の線を引いた。生徒たちに質問する。「友人が銃で射殺されたことがある人は」「一人の友人が...」と聞くと、ほとんどの生徒が線の前に並んだ。「二人の友人が...」と聞いても、多くの生徒が並んでいた。エリンは彼らが置かれている苛酷な現実に愕然とさせられる。




 生徒たちはなかなかエリンに心を開いてくれない。教科長や先任教師たちも彼女の努力を冷ややかに眺めているだけだ。
 そんな高校で懸命に闘っているのを父と夫にも理解して欲しい。優秀な娘を弁護士にしたかった父は、荒廃した高校で教師という職業についたことに反対だった。「パパは昔、公民権運動にも参加したのよね」。

 最初は理解を示していた夫(パトリック・デンプシー)も、エリンののめり込み方が尋常でないと思い始め、とうとう「妊娠したといって辞めれば?」とまで提案する。

 ある日の203教室。「今、思うこと、未来のこと、過去のこと。何でもいいから毎日書いて。そして読んでほしいときは棚に入れて。鍵をかけておくから...」とエリンは生徒たちに提案する。そして自費で用意した日記帳をひとりひとりの生徒に手渡していった。

 やがて生徒たちは日記帳に本音を綴るようになっていく。「16歳で葬儀屋より多くの死体を見た」「街角を曲がれば毎日、死体を見つけるだけだ」「難民キャンプで父は人が変わった。母や私を傷つけるようになった」「俺のダチはストリートの兵士だ」「銃を突きつけられると体が震える」。

 生々しい言葉の数々。兄は服役中で、生きるために麻薬の売人になり、母からも見放され、ストリートで暮らしているマーカス。カンボジア移民のシンディ。誰もが出口のない日々を送っていた。彼らにナチス政権下、迫害を受けつつ、健気に、勇敢に生きたアンネのことを知って欲しい。自費で「アンネの日記」を買うために、エリンはデパートでパートを始め、さらに週末にはホテルでも働き始める。

 ようやく手に入れた「アンネの日記」を生徒たちに配った。新しい本など手にしたことがない生徒たち。インクの匂いを嗅ぐように本に顔を近づける生徒もいる。彼らは、アンネの境涯に自らの日々を重ね、貪るように読み始める。

 エリンは行動を止めない。数週間後、エリンは反対する教科長を伴い、教育委員会に掛け合いにいく。そしてパートで貯めたお金で生徒全員をホロコースト博物館へと連れて行くことを許可させた。

 父スティーブも渋々ながら運転手役を務めてくれた。博物館に着くと、彼らは子供たちのカードを渡された。それをマシンに入れると、その子供がホロコーストの中で、どんな被害を受けたのかがディスプレイに映し出される。「ここでは死なんて日常なのに、何で彼らの死にここまで心を揺り動かされるのか」。

 エリンはさらに先に進んでいく。生徒たちとコンサートを開き、資金を集め、アンネをかくまった家族で生き残った老婦人、ホロコーストの生存者を招き、生徒たちに会わせる。
 彼らの苛酷な日々を知ったその老婦人は、「あなたはヒーローだ」と告げた生徒に対して、「毎日、懸命に闘っているあなたたちこそ私のヒーローです」と告げる。




 エリンも大きな代償を払うことになる。建築家への夢を持ちつつ、それをかなえられないままの夫は彼女の行動をうとましく感じている。和解し、お互いを理解するべく話しあいをする二人。それでも夫は家を出ていった。きっと彼は、そんなエリンを見ていて、自らが嫌になったに違いない。

 まさか自分が離婚するとは思わなかったと父に語るエリン。今ではエリンのよき理解者となり、生徒たちとも交流するようになった父は、「おまえは自慢の娘だよ」「そんな風に考えられる父親は何人いるのか」と彼女を抱きしめる。

 夏休みがあけると、何と全員が2年生に進級していた。そんなある時、目立たなかったミゲル(アントニオ・ガルシア)が突然、日記を朗読する。

 貧しいミゲル母子は家賃を払えなくなり、アパートから追い出されていた。「家もお金もないのに、なぜ学校へ行くのか。服もボロボロで笑われると思ったけど、クラスのみんなは、そんな僕を受けいれてくれた。そしてグルーウェル先生が希望を与えてくれた。ここが僕の家なんだ」。

 誰もがミゲルと似たような経験をしている。彼らは自らの体験を見つめる中で、肌の色の違いを乗り越え、お互いに理解を深めていった。誰からともにく抱き合う生徒たち。203教室が一つになった瞬間だった。

 エリンは次の行動を起こす。企業に掛け合い、生徒の数だけパソコンを手に入れた。全員で自分の日記を入力する。それは「The Freedom Writers Diary」として一冊の本にまとめられ、全米を感動の渦に巻き込むベストセラーとなる。

 彼らはやがて大学に進学した。多くが家族の中で初めての大学進学者となった。現在、エリン・グリューウエルは基金を設立し、教育の機会平等実現のため、活動を続けている。生徒の中には彼女の意思を受けつぎ、教師となったものもいる。




 古くはシドニー・ポワチエ主演の「いつも心に太陽を」。米国では教師と生徒の物語を綴った作品が時々、作られる。それらの作品の多くは感動的な終わり方をするが、現実的には、本作に描かれたような事例の影には、数多くの挫折が隠れているに違いない。

 この国の現状はどうなのか。「美しい国」はすでに空虚に響いている。教師が聖職と考えられ、一種の特権であったのも確かだろう。いつの時代も、そんな上からの視線で、自らを正しいと主張し、そこに逃げ込んでいる教師を子供たちはうさんくさいと思っていた。そこに新たな規制を持ち込み、道徳を教科に引き上げようとしても、子供たちは、そんな動きもうさんくさいと見透かすはずだ。

 本来、教育とは一律的、押しつけ的には存在しにくいものだ。機会は提供されても、自ら学ぼうとした知識しか手に入れることはできない。そこにどうやって導くのか。教師はそのきっかけ作りしかできないまかもしれない。「教える」という一方的な行為の中に、すでに何らかの無理があるからだ。

 それでは、良い教師とは何なのだろうか。理想的にいえば、教えるものが教えられるものであり、教えられるものが教えるものであるような関係....。

 高校生の時だった。古文の臨時教員が週に一度、やってきた。今は、よく知られた文芸評論家・作家となった人物だ。ある日、突然、今日は授業を中止すると宣言し、ベトナム戦争と佐世保への空母エンタープライズ入港について話し会いを提案した。中には、正規の授業を受けたいと拒否したものもいた。

 彼の古文の授業は独特だった。前任の老教師はオウムのように和歌を読み続け、暗記を強要するだけだった。それでは古文に興味ももてなかった。
 彼は黒板にいくつかの和歌を書き出すと、それらほとんどが恋の歌であり、古の人々の心の動きも、今の君たちの心の動きと変わりがないと語り始めた。

 受験のために、この和歌が数多く出題されたといいわれても、頭の中には入りもしない。彼によってに語られた多くの和歌は、高校時代の多感な思いを揺さぶった。それから数多くの和歌集を読むきっかけとなった。

 一年の契約期間が過ぎたのか、それとも授業内容が問題となったのかはわからなかったし、彼も語ることもなかったが、ある日、今日で最後の授業となるのを告げた。三学期も終わろうとしていた寒い日の夕方、雪の積もった校庭を横切り、去っていった彼の後ろ姿を今でもはっきりと覚えている。

 沖縄戦の末期に、住民の集団自決に軍の関与があっとの記述が高校の教科書から削除されたのが話題となっている。沖縄では与野党を問わず、反対の決議がなされ、文部科学省への抗議がなされた。政府・文部科学省側は、教科書検定を実施した第三者機関の判断なので、それを受け入れられないと回答している。
 これは詭弁だ。隠された意図は明白だ。憲法改正への準備の中で、かつて軍が関与したとの記憶を隠したいのだ。憲法改正の賛否の立場の如何に関わらず、この種の意図的な情報操作は許されないことだ。

 それならば、削除された部分に、削除前の記述を書き込み、高校の教科書として使ってみてはどうだろうか。高校生自身が書き込むわけだ。勿論、反対する生徒もいるかもしれない。その行為自体が懲罰に相当するのかもしれない。それでも削除された教科書が、あらかじめ自明の教科書ではないはずだ。開かれているとはこのようなことだ。そしてそれによって初めて高校生の間でも、開かれた判断が可能となるだろう。

 教育の機会は、国民の当然の権利として公に認められている。それでも、そのままでは、教えるものが教えられるものであり、教えられるものが教えるものであるような関係は成立しないし、生徒たちの知的な好奇心も問題意識も生まれないだろう。

 この映画の主人公であるエリン・グルーウェルは、与えられた教育の場を創意工夫で教師と生徒という関係を越えて、人間として関わり合う場へと変えた。袋小路に入り込んだ今日の米国において、彼女の物語はまだ僅かかもしれないが残っている米国の良心を体現している。
 

監督:リチャード・ラグラヴェネーズ
脚本:チャード・ラグラヴェネーズ
製作総指揮:ヒラリー・スワンク
原作:エリン・グルーウェルとフリーダム・ライターズ著・講談社
出演:ヒラリー・スワンク、パトリック・デンプシー、スコット・グレン、イメルダ・スタウントン、マリオほか
2007年/アメリカ/上映時間:2時間3分
提供:パラマウント映画
配給:UIP映画
Photo Credit:Jaimie Trueblood.TM & Copyright 2006 Paramount Pictures. All rights reserved.

公式ホームページ
http://www.fw-movie.jp/

2007.07.11掲載
バッド・エデュケーション(La Mala Educacion)
リトル・チルドレン(Little Children)
movie






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