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 素粒子(ELEMENTARTEILCHEN) 。

 みんなあてどなく彷徨っている。異父兄弟のブルーノとミヒャエルの魂の遍歴の物語。舞台は20世紀末のドイツ。母親の愛の不在がテーマだ。

 2007年3月下旬より渋谷ユーロスペース他、全国順次ロードショー。

 ヒッピーのキャンプに参加し、あげくにインドに旅立つなど性的に奔放な母親は幼い彼らの養育を放棄した。兄のブルーノは寄宿舎に入れられ、虐めにあっている。弟のミヒャエルは祖母に預けられ、田舎で静かに暮らしている。

 アフリカの草原で暮らす縞馬はライオンに襲われないように、生まれてすぐに立ち上がる。人間の子供はそうはいかない。乳幼児の時期は授乳から排泄まで全てを母親に依存している。そこで母親からの愛情を受けられず、養育を放棄されると、どうなるのだろうか。外界の全てから保護してくれる母親の不在は、深く刻み込まれ、その後は、母親を捜して、一生涯をかけて、彷徨う。




 そんなブルーノとミヒャエルは、その傷を癒すために、正反対のやり方で女性に接していく。

 ブルーノはしがない国語教師だ。その境遇から抜け出そうと、自宅で出版社に持ち込む原稿を書いている。母親に愛されたことがないので、赤ん坊が泣いてもあやし方がわからない。睡眠薬を砕き、ミルクに入れて飲ませてしまう。黒いガーターを着けさせたのに、妻が寝室から呼ぶが萎えてしまう。

 学校には接近してくる魅力的な女学生がいる。彼女の作文を読みながら、自らを慰めている。ある日、授業が終わり、その女学生と教室で二人になると、ブルーノは彼女の太股に手を乗せる。流し目を使ったのに彼女はブルーノを拒否する。

 ブルーノは女性にセックスでしか近づけない。彼女から拒否されたブルーノは号泣が止まらない。駆け込むんだのは精神科医の処だった。ブルーノは、母親の不在を語り始める。

 田舎暮らしのミヒャエルの回想シーン。隣家にはアナベルという美しい幼なじみの少女がいた。ダンスパーティーの夜、アナベルがミヒャエルをダンスに誘うが、彼はうつむきながら踏み出せない。他の男とアナベルが踊っているのを見ている。

 ミヒャエルは、女性に近づけない代償として少年時代から物理学の数式を解くのに没頭している。アナベルは、その数式を見ながら寂しそうに微笑んでいた。

 やがてミヒャエルは天才的な研究者として頭角を現す。中断していたテーマを研究するため勤務先を退職する日、別れを惜しむように接近してきた女性にも、チャンスなのに、曖昧な態度しかとれない。
 退職し、自宅でくつろいでいる時、ミヒャエルは書棚の上から埃をかぶった箱を取り出す。そこには、アナベルからの古い手紙と写真があった。彼の中でアナベルはずっと生き続けていた。




 酒場で近況を語り合うブルーノとミヒャエル。ブルーノは妻から離婚を切り出され、妻子は家を出たとミヒャエルに話し始める。ブルーノはどこへ行くのか。

 ブルーノは簡単にセックスできると思いこみ、ヌーディスト村に向かう。惜しげもなく裸体を晒した女性達。相手を捜して歩き回るが、そこに集うのは環境保護派やフェミニストたち。その価値観からほど遠い彼の話しを聞くものは誰もいない。

 荷物をもって寝場所を探していると、ジャグジーの中で行為に励んでいる男女を見つけた。ブルーノは「俺にも権利があるはずだ」と、ジャグジーに入り、二人を眺めている。やがて男がその場を去ると、ブルーノは女性に近づき、思いを遂げる。

 彼女の名前はクリスティアーネ。ブルーノはクリスティアーネのキャンピングカーに泊まる。彼女は「夫が若い女と家を出たので」、相手をしてくれる男を捜しにここに着たと告げる。
 クリスティアーネも、ここに集う人たちの価値観に共鳴したのではなかった。手軽な男を捜していただけだ。「フェミニストとかいっても、結局、男のためにジャムとか作ってる」。そんなことで気が合う二人は街に帰っても付き合いを続ける。




 人はきっと誰もが個性的に病んでいる。セックスでしか女性と繋がれないブルーノ。それを拒否されると、まるで全存在を否定されたように狼狽し、号泣する。相手の女性はそんなに重たいものは引き受けられないのだ。誘いも成功するわけがない。

 女性に接近できないミヒャエルも誰かを捜している。ブルーノが女性に対するプラスのベクトルが強すぎるのだとすると、ミヒャエルは気づかないふりをしているが、同じ強さでマイナスのベクトルが働いている。

 優しさに出会ったことがなかったアナベルは「男運が悪かった」と嘆いている。仲睦まじく暮らしている田舎の両親を訪ねて、つかの間の休息で自らを慰めている。。

 クリスティアーネも肉体を通してしか、精神を紡げない。街に帰ると、ブルーノを乱交パーティーに誘う。次々と違う男を受け入れるクリスティアーネ。それを見ながら別の女性に身を任せているブルーノ。行為の最中、突然、クリスティアーネが倒れる。手当てが遅れたクリスティアーネは車椅子での生活となってしまう。




 ある日、区画整理で祖母の墓を移す作業に立ち会ったミヒャエルは、久しぶりに祖母の家を訪ねる。隣家にはアナベルが偶然にも帰郷していた。二人は再会する。

 アナベルは、ミヒャエルから手紙の返事がなかったので「少し恨んでいたの」と伝える。「2、3日前に手紙を読んだよ」と、いつものように静かに微笑みながら言葉少なにミヒャエルは語った。

 静かな時間が流れる二人だけの食事。「子供の頃に戻ったみたい」.....。夜を迎え、ベッドでミヒャエルが休んでいると、アナベルがやってくる。彼女は「初めてなの」とたずねる。ミヒャエルは肯き、アナベルと結ばれる。「ずっと思い続けていたの」。ミヒャエルは次の赴任地へ旅立つ。




 愛の不在を解消しかけた四人の運命にさざ波が立ち始める。車椅子に乗って病院を退院する時、クリスティアーネは、ブルーノに、「無理はしないで」と告げ、一人で帰宅する。ようやく探しあてた自身の半身のようなブルーノの存在。試しているのではない。かけがえがないからこそ、一人で帰っていく。これからを考えると、ブルーノを失うのが怖い。クリスティアーネは発作的に身を投げた。

 アナベルも病に倒れる。新しい勤務地で、それを告げる電話を受けたミヒャエルは、すぐにアナベルを訪ねる。そして「一緒に行こう」と伝え、微笑むアナベルと手を握り合う。

 これからの四人に何が起こったのか。かけがえのない存在に一度でも出会った後の人生には必ず救済が訪れるということだ。

 クリスティアーネの死後、精神科に入院したブルーノをミヒャエルとアナベルが見舞う。「今日は天気がいいのでドライブしよう」。

 車で遠出する三人。ふと、となりの席を見るブルーノ。そこにはクリスティアーネが微笑んでいた。

 海辺で心地よい風に吹かれて日光浴している三人。ミヒャエルがブルーノに「一緒に行こうか」と聞くと、ブルーノは「僕はここで暮らす」と.....。やはり隣ではクリスティアーネが微笑んでいた。




 この映画評の中には、「現代社会の恐ろしいほどの愛の欠如と絶望感を、ユーモアと悲哀をまじえて痛烈に描いた問題作」とするものもあった。

 違うと思う。愛の不在を必死に埋め、それぞれの病を癒そうと、運命に抗いながら必死に暮らしている普通の僕たちの物語だ。

 愛の不在は、決して愛の不可能性を意味しない。愛の不可能性は、それに真摯に向き合えば、必ずいつか、かけがえのない存在に出会えるとの愛の可能性も内包している。そして、かけがえのない存在に出会ったものは、もう二度と、その不在を恐れる必要はない。訪れた不在こそ、かつてそこにいたことの証であり、隣を見れば、その存在は、微笑み返してくれる。

 映画のポスターがそのことを伝えている。三人で海辺に座っているはずなのに、ブルーノの隣にクリスティアーネも座っている。そして、それを後ろから見守っているのは彼らを愛せなかった母親だ。

 母親が何故、彼ら二人を愛せなかったのかは語られない。もしかすると、彼女も、彼らを愛せない不在を抱えて一人で彷徨っていたのかもしれない。それでも彼ら二人がかけがえのない存在に出会えたことで、すでにこの世にない彼女も救済されている。

 愛の不在を他者に転嫁し、引き継いではいけない。どこかでそれをくい止めなければいけない。




 原作者のミシェル・ウエルベックは1958年ランス海外県レユニオン島生まれ。国立高等農業学校卒業後、20歳頃から詩作活動を始め、1991年にH・P・ラヴクラフトの評論と初の詩集を発表。

 レユニオン島は、アフリカ・マダガスカル島東方のインド洋に位置する。フランスでは、これら旧植民地の海外県出身は特異な作家、思想家をよく輩出する。

 最も印象に残っているのはフランツ・ファノンだ。アフリカ系にもかかわらず自身をフランス人だと思い、本国に渡ると、そこで初めて自身の肌の色に気付かされる。最後はアルジェリア独立戦争に参加し、皮肉にも「白血病」で命を落とす。多くの海外県生まれの作家達は、どこか、よそ者的で、エトランゼのような感覚をもっている。

 そのためだろうか。この作品には、ドイツ映画の硬質で、重たい感じがない。どちらかというと、フランス映画のような諧謔と皮肉も随所に散りばめられており、無国籍風でもある。そして何よりも、中心的な四人の主人公には余りにも傷つきやすい心の柔らかさも感じられる。

 1994年に小説第一作となる「闘争領域の拡大」(角川書店/訳:中村佳子)でその特異な世界観が注目を浴びると、1998年に発表した初の長編「素粒子」(筑摩書房/訳:野崎歓)は、世界30ヶ国で翻訳される大ベストセラーとなった。

 その後、2001年に小説第三作目となる「プラットフォーム」(角川書店/訳:中村佳子)を発表、詩作・音楽活動も行うなど、現在フランスで最もその言語活動が注目されている作家。待望の新刊も2007年2月発売予定。

 
監督・脚本:オスカー・レーラー
原作:ミシェル・ウエルベック
キャスト:モーリッツ・ブライプトロイ(ブルーノ)、クリスティアン・ウルメン(ミヒャエル)マルティナ・ゲデック(クリスティアーネ)、フランカ・ポテンテ(アナベル)、ニーナ・ホス(ブルーノとミヒャエルの母)ほか
 2006年ベルリン国際映画祭でブルーノ役のモーリッツ・ブライプトロイは銀熊賞(主演男優賞)に輝いた。
 
2006年/ドイツ/カラー/113分
配給/エスパース・サロウ
公式ホームページ
http://elementarteilchen.film.de/(ドイツ語)
http://www.espace-sarou.co.jp/soryushi/(日本語)

2007.02.14掲載
バベル(BABEL)
善き人のためのソナタ(Das Leben der Anderen)
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