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 善き人のためのソナタ(Das Leben der Anderen) 。

 ベルリンの壁が崩壊する5年前、1984年の東ドイツ。主人公のヴィースラーは優秀なシュタージとして社会主義国家に忠誠を誓い、反体制分子の摘発に辣腕を振るっている。

 若手のシュタージを育成する教室では、実際の尋問テープを聞かせ、いかにして自白へ導くかのノウハウを伝授している。長時間、睡眠を絶ち、同じ質問を何度も繰り返す。答えが一字一句違わないのは、あらかじめ用意された嘘を繰り返しているだけだ。何も知らない者は、大声を上げ、苛立ちを表現するが、秘密をもっている者は泣き出すと...。

 尋問の相手が座る椅子の底板の下には、布が仕込まれていて、それは追尾犬に匂いを覚え込ませる重要な証拠だ。一人の学生が反抗的な言動を発する。ヴィースラーは、その学生の座席表に×印を付ける。彼の運命はすぐに暗転するはずだ。

 ある日、ヴィースラーは上司から劇場に誘われる。そこでは劇作家ドライマンが執筆した劇が上演されていた。ヒロインをつとめるのはドライマンの恋人のクリスタ。溌剌として美しい女性だ。

 上司からの指示は、ドライマンを監視することだった。ヴィースラーは劇には一切の興味を示さず、終演後の二人の抱擁を双眼鏡で覗き、監視を始める。




 本作は、ドイツ本国で2006年3月の公聞以来、ロングランを更新し、既に155万人の観客を動員したという。2007年度のアカデミー外国語映画賞受賞。

 監督は、本作が長編作品初メガホンとなる弱冠33歳のフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク。彼は、4年間に渡り、関係者への取材や記録文書のリサーチを続けた。悪名高い旧東ドイツの秘密組織・シュタージの内幕を驚くぺき正確さで描き、近年のドイツで最も重要な映画と称賛されている。

 旧東ドイツでは、家族や友人の中にもシュタージが潜り込んでいたといわれている。本作でキーとなるタイプライターも、一台一台が製造メーカー、使用される文字フォントまでが当局に登録されていた。反体制的な文書が作られると、それを記述したタイプライターから書いた者をすぐに割り出すためだ。シュタージに疑いをもたれると、全ての手紙も盗み見られていた。

 ドイツ政府はベルリンの壁の崩壊後、シュタージが蓄積した膨大な情報を一般に公開する決断をした。自らが監視対象であったのか疑念を抱いた者は、この公開文書を読みあさった。すると、どうだろうか。家族の一員が、ましてや恋人までがシュタージとして諜報活動に従事していた事実が次々と明らかとなった。

 今では東西ドイツ統一の熱気は覚めている。旧東ドイツと西側との経済格差も残ったままだ。社会不安を背景に外国人への排斥運動が続き、ネオナチも台頭を続けている。そして、シュタージの行為に深く傷ついた人々は、人間関係も崩壊させ、いまだにその事実から癒されていない。

 同様のことはアパルトヘイトが終焉した南アフリカでも起こった。ここでは「真実和解委員会」を組織し、弾圧した側が真実を明らかにするならば、殺人を犯したとしても罪を問わず、免責する措置をとった。しかし、このように激しく対立した人々は、和解することができるのだろうか。物理的な壁も壊れ、人種差別を肯定する体制も壊れたが、人々の心に深く残った傷はどれだけの時間が経過すれば癒されるのだろうか。




 ある日、ドライマンの外出を確かめると、シュタージ達は、彼の部屋に進入し、盗聴装置を配備する。
 ヴィースラーは、建物の最上階に録音装置などを運び込み、その日から監視活動を本格化する。

 階下にあるのはドライマンとクリスタのごく普通の日常生活。ドライマンが執筆している様子、クリスタがシャワーを浴びる音、そして二人がベッドで愛を交わしている。それら全てを聞き逃さず記録するヴィースラー。

 二人の不在を確認したヴィースラーは再び、ドライマンの部屋に入る。購読が禁止されている西側の週刊誌ニューズウィーク、壁のあちこちに飾られた現代絵画、発禁のブレヒトの本。ビアノも置かれている。それらを見渡し、監視のために最上階に戻っていく。

 ヴィースラーが帰る部屋は殺風景だ。一人で食事をし、盗んできたブレヒトを読んでいても、彼の部屋を訪れる恋人はいない。愛を交わす二人を知った彼はある晩、部屋に娼婦を呼ぶ。
 「もう少しここにいてくれないか」「次のお客が待ってるの、今度はもっと長く予約してね」....。西側を凌駕する地上の天国であったはずの旧東ドイツにも人類で最も古い職業の娼婦はしたたかに存在したわけだ。

 やがてヴィースラーは、監視部屋の床に、ドライマンの生活をなぞるかのように、彼のように生きたいと願うかのように、部屋の平面図を描いていく。このシーンは暗示的だ。

 国家の強制は、個人の中に病として沈殿していく。ヴィースラーが抱えた病は、自らを持たない空白感だ。ヴィースラーは他者を監視する中で、その他者の中に、本来は生きるべき人生を見出していく。決して許されることではないが、その心情は理解できる。自らの空白を他者の人生で埋めるように監視を続ける中で、頑なに凝固した何かが溶け始める。

 反体制的な活動で、仕事を奪われた友人の演出家からドライマンの元にプレゼントが届く。それは「Das Leben der Anderen(善き人のためのソナタ)」と題された楽譜だった。友人の立場を考え、いたたまれないドライマンはピアノを弾き始める。背後に寄り添うクリスタ。監視部屋で聞いているヴィースラー。後戻りはできない。彼の中で始まった何ものかの氷解はもう止まらない。




 これ以降の物語は詳しくは語らない方が良いだろう。本来は、そこに暮らす人々の人生を豊かにし、ささやかな日常を過ごすための機構でしかないはずの国家とその支配者は自己都合で虚偽を重ね、巧妙に支配を続けていく。何かの事情で国家と対立した際、盗聴や監視は旧東ドイツだけで起こることだけではないだろう。

『善き人のためのソナタ』サウンドトラック。映画音楽の巨匠、ガブリエル・ヤレドのスコアに、本人と監督が選んだソナタの名曲4曲を収録。
 仕事を奪うと恫喝され、家族や恋人の中にも分断のくさびを打ち込まれたら、シュタージへの協力を誰もが拒否できないだろう。そんな体制の中で、ヴィースラー、ドライマン、クリスタはそれぞれに悲劇を引き受けることになる。

 ドライマンは旧西ドイツの週刊誌に「東ドイツにおける自殺(自己殺人者と呼ばれていたそうだが)に関する考察」を寄稿するため危険を冒す。ヴィースラーは、それを知ったにもかかわらず、偽の報告書を書く。

 その結果、ドライマンの原稿は西側で発表され、当局は混乱の極みを迎える。誰かに責任をとらせなければ体制がもたない。ヴィースラーはシュタージ施設の地下室で、延々と手紙を開封する閑職に追いやられる。

 それから数年が経過し、ベルリンの壁が崩壊する。公開されたシュタージの情報を読んだドライマンは、その時、初めてヴィースラーの暗号名(HGW XX/7)を知る。そして、ヴィースラーが偽の報告書を書き、告発を避ける努力をしてくれたことも知る。

 それでも、この二人は出会うことも、会話を交わすことはなかった。ある日、ドライマンの本が店頭に飾られている。店に入り、ヴィースラーが本を手にすると、そこには彼の暗号名と共に、感謝の言葉が綴られていた。

 最後に、この本はドライマンからヴィースラーへ、そしてヴィースラーから自身への贈り物として物語は終わる。そして、彼らはきっと今もベルリンで生きている。




 物語の中でレーニンが語った言葉が紹介される。『ベートーベンの熱情ソナタを聴いてしまうと、悪人にはなりきれない』。レーニンは、青年時代に詩を書くような人物だった。亡命時代には開明的な芸術家との交流もあった。『宗教は阿片だ』と語ったように、逆説的に音楽や宗教が国家体制の維持にいかに危険であるかをよく知っていた。そして革命ロシア建国の初期にそれを利用した。

 旧東ドイツ体制の上層部や諜報活動に従事していた者は、諜報活動の名目で、西側の情報に特権的に触れることができた。それら西側の情報を徹底的に忌避したものが大多数であったが、中には、特権をもつが故に、その自由な思想を理解し始めたものもいたはずだ。それほど壁の向こうにある自由な思想は、危険なものだった。

 同様のことは、この国に隣接する半島の北側にある国家の中でも起こっていると考えられる。突然、北京に現れた後継者候補の男は流暢な英語を話していた。飢えに苦しむ民衆を尻目に、飽食で太った男は日常的にCNNさえも見ているだろう。もしかすると、彼の思想は、その北の国のものとはすでにかけ離れているかもしれない。そして、それを利用しているかもしれない。
 一方でいたたまれない矛盾もある。日々の貧しい生活の中で生きている人々は、それら国境の向こうの情報から遮断されているが故に、致し方なく国家への忠誠の中で生き続けることになる。

 ベルリンの壁は、旧東ドイツの支配層の思想の中で最初に構築され、それが物理的な壁として出現したものだった。目の前の壁が崩壊したのではない。最初に思想の中の壁が崩壊したのだ。
 そうだとすると、壁の崩壊をもたらすような変革は、それぞれの思想の中で起こせばよい。イスラエルとパレスチナ、ファタハとハマス、内戦の危機寸前のヨルダン、イラクのスンニとシーア、コソボの火種....。
 たとえ現場に立ち会わなくとも、対立や紛争を徹底的に、今いる場所で考え抜くこと。対立や紛争を乗り越える方法と、その後の姿を徹底的に描き抜くこと。

 そして、そんな思索の中でもドライマンとクリスタのように愛を交わすこと。ヴィースラーのように、致し方なく犯した罪を内省し、自身の物語を書き直すこと。自身の人生を取り戻すこと。きっと誰にも遺された時間はあるはすだから....。


2007年アカデミー外国語映画賞ドイツ代表/ローラ賞(ドイツ映画賞)7部門受賞/バヴァリアン映画祭4部門受賞/ミュンヘン映画祭ベルンハルト・ヴィッキ映画賞受賞/ロカルノ国際映画祭観客賞受賞他、国際映画繁多数出品/ヨーロッパ映画祭にて最優秀作品賞、最優秀主演男優賞、最優秀脚本賞受賞

監督・脚本:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
音楽:ガブリエル・ヤレド
キャスト:ウルリッヒ・ミューエ、マルティナ・ゲデック、セバスチャン・コッホほか
 
2006年/ドイツ/カラー/138分/シネマスコープ/ドルビーSRD
配給/アルバトロスフィルム

2007.02.14掲載
素粒子(ELEMENTARTEILCHEN)< >ホリディ(THE HOLIDAY)
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