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 敬愛なるベートーヴェン(Copying Beethoven)。「"第九"誕生の裏に、耳の聴こえないベートーヴェンを支えた女性がいた」...。

 洋画の日本語タイトルをつけるのは難しい。配給側は興業成績を考え、これはというタイトルをつける。「敬愛なるベートーヴェン」。この映画の内容をよく伝えている。それでも、タイトルからもれてしまうものがある。この「敬愛なるベートーヴェン」は、そこに語るべきものがある。

 舞台は1824年のウィーン。貴族達は優雅に暮らしているが、街には老若男女の浮浪者が溢れている。マエストロと呼ばれ、尊敬を集めているが、作曲に疲れると、ベートーヴェンが行くのは、庶民達の安酒屋。客を物色している娼婦ともじゃれあっている。

 もう耳は聴こえない。日常会話では、ラッパ状の補聴器を使い、作曲では頭部に筒状の紙を巻き付け、振動でピアノの音を確かめている。第九(交響曲第9番 ニ短調 作品125 シラー「歓喜に寄す」による合唱終曲付き」)作曲の最終段階を迎えていた。

 熱情に任せ、たたきつけるように、書き殴られる原譜。完成した部分からコピストに渡し、完成譜に仕上げなければならない。ところが、お抱えの老コピストは、病を患い、失禁しているありさまだ。初演まで残されたのは4日間。その老コピストの仕事場を若い女性が訪ねてくる。

 物語の原題「Copying Beethoven」は、このコピストから付けられている。そして、このCopyingという行為に、深い意味が隠されている。
※コピスト(Copyist):作曲されたモノを譜面に写す職業。




 女性の名前はアンナ。作曲家を目指し、地方からウィーンに出てきた。音楽学校の教師が苦境に陥っている老コピストにアンナを紹介した。

 「音楽学校では首席です」と語るが、当時、作曲家を目指す女性は極めて珍しい存在だった。ましてや、うら若い、美しいコピストが訪ねてくるとは思っていなかった。

 頭を抱えた老コピストは、アンナにいう。「相手はピースト(野獣)だぞ」「ベートーヴェンだぞ」と。アンナもベートーヴェンは知っている。野心も秘めて、アンナは彼の自宅を訪ねる。

 ドアを叩くが応答はない。怖々とドアを開けても、耳が聴こえない彼は気づかない。やってきたのが女性のコピストだと知ると、激怒する。それでも初演ほ控え、残された時間のない彼は試しにアンナに写譜させてみる。




 やがてできあがった譜面をベートーヴェンに渡す。この瞬間に、物語の秘密が解き明かされる。彼はアンナを試すためにワナを仕掛けていた。

 アンナは、その部分に気づき、転調し、書き直していた。それを見つけたベートーヴェンは、「何故、変更(Change)したのか」と聞きただす。アンナは自信をもって「変更ではなく、修正(Correct)です」と答える。

 どんな秘密が解き明かされたのか。字幕では修正となっているが、英語の台詞では、コレクト(Correct)といっている。正確には、修正ではなく、コレクト(Correct)==正しい状態にする==だ。「あなたならば、この部分は短調にするはずだ」と....。ベートーヴェンは、アンナの能力を認め、第九初演に向けた共同作業が始まる。

 Copying Beethoven。アンナは、書き殴ったベートーヴェンの原譜をただ実務的に写すのではなく、彼の音楽に込められた深い精神性をなぞり、孤独なベートーヴェンに寄り添っていく。

 手元のCopyを英英辞典でひくと、
「An imitation or reproduction of an original; a duplicate: a copy of a painting; made two copies of the letter. 」
とあった。重要なのは、reproduction of an originalの部分。Copyには、オリジナルを正しく(Correct)再現(reproduct)する意味が含まれている。




 ベートーヴェンが溺愛している甥のカールが金の無心にやってくる。彼はカールに最高の教師をつけ、ピアニストにしようとしている。才能の限界を知っているカールは、彼の溺愛のしかたも、押しつけがましい態度も疎ましくてたまらない。

「カール、昼飯を一緒に食べよう」「駄目なら夕食にしよう」.....。二人の会話を聴いているアンナ。「カールはこない」と独り言をいうベートーヴェン。

 やがて彼は、そんな行き場のない孤独をアンナにぶつける。共同作業も滞る。アンナは、ある時、はっきりと、「カールはピアニストになりたくないのです」とベートーヴェンに告げる。二人の共同作業は、そんな闘いでもあった。

 アンナは決してベートーヴェンを恐れない。時には感情をぶつけ合い、音楽について真摯に議論する。きっとベートーヴェンは、そんな人間に出会ったことがなかったのだ。これらのシーンは微笑ましくもある。音楽の才能には満ちあふれているが、生きるのに不器用で、自身も愛されたいので、カールを溺愛するベートーヴェン。そんな彼に向けられるアンナの視線は、どこか母親のようでもある。


 

 第九初演の日を迎えた。1824年5月7日、ウィーンのケルントネル門劇場。老コピストはまた頭を抱えている。リハーサルで彼がオーケストラをまともに指揮できなかったからだ。指揮の補助を老コピストに頼んでいたが、やってこない。ベートーヴェンは恋人とやってきていたアンナを見つけ、補助を頼む。
※公式記録では、ウムラウフという助手が補助した。

 できあがった楽譜を、安心したようにアンナに渡すベートーヴェン。隠れるようにオーケストラの中で演奏の開始を待つアンナ。ベートーヴェンの指揮棒が振られた。

 アンナは、ベートーヴェンにバイオリンの出だしは今、ここは強く、ここは弱くと、合図を送り続ける。やがて、写譜の過程で、第九の全てを知り尽くしているアンナは楽譜を見ることもやめ、二人の手の動きは同調していく。

 映画評では「敬愛なる....」が強調されるシーンだろう。この場面の二人は肉体的にではないが、第九という音楽を通じて、もはや精神で交わっている。力強く指揮棒をふるベートーヴェン。恍惚にもにた表情を浮かべるアンナ....。

 演奏が終わる。聴衆の大歓声も拍手も聴こえないベートーヴェン。舞台の袖では、「決してやってこない」と思われたカールが涙を流している。やがてアンナに促されたベートーヴェンは、指揮台の上で客席に向かって振り向き、成功だったことを知る。

 外に出ると、友人達に肩車され、喜びを溢れさせているベートーヴェン。恋人と一緒のアンナを見つけると、「今晩は夜通し酒を飲むぞ」。アンナは「修道院に帰らなければなりません」と微笑んでいた。少し寂しそうな顔のベートーヴェン。

 粗野で下品で、誰をも口汚く罵り、街の娼婦ともじゃれあっているベートーヴェン。当時、彼は50歳代であったが、一人の生身の男性だ。第九初演の夜、恋人と着飾ってやってきたアンナに譜面を渡す時、ベートーヴェンは、「色っぽいじゃないか」と軽口を叩いている。二人には男女の関係はあったのだろうか。マエストロとして尊敬を集めながら、アンナをからかう軽口も叩くベートーヴェン。




 ある日、ベートーヴェンの自宅にアンナがやってきた時、ろくに調律もされていないピアノから美しい調べが聴こえてくる。「エリーゼのために」。

 ベートーヴェンがアンナに語った言葉。自身の才能は神から与えられたものだ。それでも「私にとっての宗教は孤独」だと......。

 ベートーヴェンは、家庭的な愛情には幼少から恵まれなかった。数々の恋愛も実らず、結婚もできなかった。アンナに思い人であったと伝えられるエリーゼの面影を見ていたのだろうか。

 病を抱え、死期も悟りつつ、最後の力を振り絞って、当時としては革命的な第九を書き上げたベートーヴェン。アンナこそが、人生の最後に、神から遣わされた天使なのかもしれないと....。




 物語は、もう一つのテーマを隠している。それは才能とは何かということだ。作曲家を目指しているアンナは、ベートーヴェンに寄り添うことで、彼の才能の源泉を知りたいとの野心ももっている。

 老コピストの助言を受け、ベートーヴェンの機嫌のよい時を見計らって、自作の譜面を渡す。すると、どうだろうか。ベートーヴェンは、その曲を弾きながら、これでもかとからかい、最後には罵倒する。アンナは泣きだしてしまう。

 アンナの才能が優れたものかどうかは明かされていない。ベートーヴェンの原譜を写譜する時、彼の説明を聞きながら、「ここはクレシェンド」と先周りして理解できるアンナ。
 写譜を通してベートーヴェンの精神性と音楽性を理解し、原譜をコレクト(Correct)できるアンナ。それでもベートーヴェンの才能を凌駕できない。

 オリジナルな才能とか何か。努力の量を極限にまで浪費しても、獲得できないかもしれないオリジナルな才能。そしてコピーとは何か。デジタル時代の昨今にも通じる芸術と才能の価値とは何かというテーマを提示している。

 やがて死の床についたベートーヴェンをアンナはかいがいしく世話をし、最後を看取る。この物語はこれでよかったのだと思う。もしも、ベートーヴェンが長く生き、アンナが写譜を続けていたとしら、アンナは、それに満足できず、必ず「才能とは何か」という問題にぶつかったはずだからだ。

 男女としての強い親和性を持ちながら、才能を競い、闘ってしまう。ロダンとカミーユ・クローデル、高村光太郎と智恵子。二人の女性は、その闘いの中で、疲れ果て、精神を病む。それでも二人の女性は、精神を病むことで、葛藤から解放され、自身のオリジナルな才能を開花させた。見るものの心の奥底に語りかけてくる優れた作品を後世に残している。

 アンナがウィーンで寄宿している修道院。今は尼僧になっている叔母は、若い頃、音楽の道を目指していた。アンナがベートーヴェンの写譜をしていると知ると、「夢は危険なもの」「安全な修道院にお入り」と諭す。

 風に吹かれ、髪をたゆたせ、田園の中を歩いていくアンナ。物語が必要とした架空の人物だとしても、アンナは、その後、どうなったのだろうか。ここでも主人公物語のは終わった処から、スクリーンの向こうに向けて、歩いていく。





 監督は、「太陽と月に背いて」「秘密の花園」ほかのアニエスカ・ホランド。ベートーヴェンは「アホロ13」で人間味溢れるフライト・ディレクターを演じたエド・ハリス。その時の面影もないほど、ベートーヴェンになりきっている。アンナは「戦場のアリア」「トロイ」のダイアン・クルーガー。

 年末に第九を演奏するのは、どうも日本だけらしい。今年の年末には、彼ら二人を思い出しながら聴いてみよう。お薦めはバーンスタインの第九。

 「ベルリンの壁」崩壊は1989年11月9日の夜半から未明にかけて。それよってバーンスタインは東ドイツ(当時)に入国できた。この演奏には、そんな自由を希求し続けた人々の熱気が感じられる。

 ベートーヴェンがシラーの原詩に付け加えた

 ああ友よ、このような音楽ではなく
 もっと心地よく、もっと喜びに満ちた調べに
 声を合わせようではないか!

を確認するかのように.....。


第九交響曲・指揮:レナード・バーンスタイン(レナード)・1989年12月25日 東ベルリン シャウシュピールハウスア
劇中代表楽曲
「第九交響曲」「エリーゼのために」「弦楽四重奏曲《大フーガ》」「弦楽四重奏曲第15番」「弦楽四重奏曲第14番」「交響曲第7番」「ピアノ・ソナタ第32番」「ヴァイオリン・ソナタ第7番」「ピアノ協奏曲第4番」他

◆公式ホームページ(日本語版)
12月9日、日比谷シャンテ シネ、新宿武蔵野館、シアターN渋谷他、全国ロードショー

(C) 2006Film&Entertainment VIP Medienfonds2 GmbH & Co. KG

2006.12.06掲載
イカとクジラ(The SQUID and the WHALE)< >ボビー(BOBBY)
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