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『僕は日米安保条約を存続させるべきかどうかについては、まず国民投票にかけ、国民の審判を仰ぐべきだと思います。』


 このことを読んだ時に、少しばかり驚きがありました。吉本さんは、選挙とかの投票にはいかないんだろうな、と漠然と考えていたからです。

 この後、吉本さんは、また、「それを過半数以上の日本の国民が支持しているというのであれば、国民の一人としてはそれに従うべきでしょうが、僕自身は、個人的な見解としては、あくまでも安保反対を主張し続けます。」とも言っています。
 すると、吉本さんは、この国民投票が実施されたならば、それに参加し、反対の一票を投じるということなのでしょうか。

 関連して聞きたいことがありました。あちこちの地方自治体で住民投票条例が施行されています。以前、長野県知事選挙の候補者が全員並んで、見解を述べるテレビ番組を観たことがあるのですが、当時の田中康夫氏を除いて他の候補者は、「条件付き」で賛成を表明していました。ただ、この条件付きというのも「判断の対象となる事柄によって」とか、「他の地域に影響が及ぶ場合には、慎重にすべきである」など曖昧で、結局、やりたくないんだなと薄々、感じたりしました。

 将来、吉本さんがいっているように、「政治家なんて嫌々やるようになったらいいんだ」という段階でも、やはり機能として代議制は必要なのでしょうか。その時、現実の課題として、代議制と直接投票との関係はどのようになるものなのでしょうか。

 代議制とは、人類が長い民主主義追求の歴史の中で、ようやくたどり着いた制度です。それでも現実的には、立法という国家権力の分配行使を担うのですから、「代議士」たちは、自らが権力であるとの錯覚を強めていきます。特に、この国では「せんせい」と呼び、呼ばれているように、彼らは時に権力そのものと化します。

 そんな代議制の「負」の部分を可能な限り解消するのが直接投票による民意の反映だと思います。「先生」たちが、人々が時に「愚衆政治」に至ると考えようと、それこそ民意=自己責任だと考えられます。

 インターネットがこれだけ普及した現在、その機能を用いれば、いつでも直接投票を行うのが技術的には可能となりつつあります。実際には、日々、日常的に、直接投票は困難ですが、国民が常に政府=国家権力をリコールできる能力を持っていることは、「代議士」たちにプレッシャーをかけ、代議制の「負」の部分を解消するに違いありません。

 イギリスで与党、野党を問わず、代議士達が経費を不正に流用した事件が発覚しました。それをしつこく追求しているのは主にゴシップネタが大好きな大衆紙ですが、結果、メディアが直接投票に代わるリコール機能を発揮しました。おとぎ話的ですが、もしも、この「経費不正流用」について、インターネットで直接投票したとすると、いったい何人の代議士が残ったのだろうかなどと考えざるを得ません。



「僕は日米安保条約を存続させるべきかどうかについては、まず国民投票にかけ、国民の審判を仰ぐべきだと思います。それで賛成多数という結果になれば、日米安保条約を存続させたらいいと思います。国民の無記名直接投票によって過半数以上が賛成したならば、その結果に従うべきだというのが僕の考え方です。」

「私の「戦争論」(ぶんか社)(P223)
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