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『もしおまえがほんとうに勉強して実験でちゃんとほんとうの考えとうその考えとをわけてしまえばその実験の方法さえきまれば信仰も科学と同じようになる。(ジョバンニの切符)」』

 吉本さんは、宮沢賢治が「銀河鉄道の夜」に登場させたブルカニロ博士の言葉を引用しています。この「信仰も科学と同じようになる」というところはとても難しいことで、はっはりとはわからないのですが、科学者としての宮沢賢治が「その実験の方法さえ」といっていることの切実さはよく伝わってきます。

 吉本さんは「そういう実験ができる装置を、機械という意味だけじゃなくて、形而上学的な意味も含めて装置という言葉を使かえば、そういう装置をつくればいい」「そういう装置をつくることなのか、そうじゃなければ、じぶん自身をそういう装置にしてしまう。賢治の言葉でいえば、一心に勉強して、じぶん自身を「ほんとうの考え」と「うその考え」を分ける装置にしてしまうか、そのどちらしかないわけです。」
ともいっています。

 私はこのジョバンニの切符の言葉を読んだ時に、賢治は、じぶん自身を装置にしようとしていたのではないかと思いました。そして書くという行為が、その実験そのものではなかったのか。彼が生み出した作品は、その実験の結果なのではないかと思いました。

 もしそうだとすると、賢治がもう少し先まで書き続けることができたのであれば、さらに「実験の方法」への「糸口」を私たちの前に明らかにできたのでしょうか。

 賢治の童話は、死後にその多くが発見されたことからも、あらかじめ公開を目ざししていたものではありませんでした。だとすると、何故、何に向けて、誰に対して、書き続けたのか。「ほんとう」といった瞬間に、その中に「うそ」が忍び込まない、「信仰も科学と同じようになる」地点を探していたはずです。こんな視点も交えて、彼の童話を読むと、また新しい発見が沢山あります。



「(略)そういう実験ができる装置を、機械という意味だけじゃなくて、形而上学的な意味も含めて装置という言葉を使かえば、そういう装置をつくればいい。たとえば、それは比喩として聞いてくださったほうがいいわけですが、その装置をつくって、そこにどんな考えもみんな入れてボタンを押したら「おまえの考えの三割はほんとうだけど七割はうそだ」と出てきた。そういう装置をつくることなのか、そうじゃなければ、じぶん自身をそういう装置にしていまう。賢治の言葉でいえば、一心に勉強して、じぶん自身を「ほんとうの考え」と「うその考え」を分ける装置にしてしまうか、そのどちらしかないわけです。」

出典:「ほんとうの考え・うその考え」賢治・ヴェイユ・ヨブをめぐって(春秋社)(P49)

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