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 ハードカバーほど大仰でない新書には、ユニークなテーマのものもあるので、書店に行くとコーナーに立ち寄る。そこで「ドット・コム・ラヴァーズ」(吉原真里著/中公新書)の書名が目をひいた。サブタイトルは「ネットで出会うアメリカの女と男」。

 帯には「アメリカ男たちとオンラインデーティング。大手サイトに登録した著者は、ニューヨーク、そしてハワイで、さまざまなアメリカ男たちと「デート」する。メールのやりとり、対面、交際、そして別れから、人間臭いアメリカがみえてくる--」。

 5年ほど前、あるPR代理店から「若い女性の結婚に対する意識」を調べて欲しいとの仕事を受けた。クライアントは新興企業に押され気味の結婚式場をもつ某ホテルだった。本格調査の前の事前調査なので、既存の新聞、雑誌、そし手インターネット上にある情報を集め、分析するものだった。

 いくつかのキーワードを見つけた。「花嫁はヴァージンロード(レッドカーペット)の長さに拘る」「写真撮影に適した場所、ロケーションが必須」「料理はありふれたものでなく、二人の心遣いがわかるものとしたい」....。その事前調査の中で、登場しつつあったインターネットによる結構情報サービス会社の動向も調べた。そんな記憶から、本書に目が行ったのだろう。




 吉原真里(よしはらまり)氏。「1968年(昭和43年)、ニューヨーク生まれ。91年、東京大学教養学部教養学科卒、97年、ブラウン大学博士号取得、現在、ハワイ大学アメリカ研究学部教授、専門は、アメリカ文化研究、とくに、アメリカ文化史。アメリカ=アジア関係史、ジェンダー研究など」。

 このプロフィールを見ると、米国暮らしの方が長いようだ。国内で暮らしている女性たちの男女関係、結婚に対する意識とは少しばかり異なっているのかもしれないと最初に考えた。

 著者が本書執筆のきっかけとなるオンライン・デーティングを始めたのは2003年、夏のこと。勤務先のハワイ大学から1年間のサバティカルでニューヨークに行ったのがきっかけだ。本書で話題も出てくるが、今から5年ほど前。9.11の記憶もまだ鮮明なニューヨーク。そんな背景も気にしつつ、読み進んだ。
 ちなみに、サバティカルとは、「大学の教員が、授業その他の業務から離れて研究や執筆に専念するために与えられた期間」とのこと。せっかく自由な時間も与えられたし、ニューヨークには親しい知り合いもいないので、オンライン・デーティングでもやってみようと思ったそうだ。

 アメリカではインターネットの普及によるオンライン・デーティング以前に、パートナー探しの個人広告を新聞などのメディアに掲載することがかなり一般的に行われていた。それがインターネットというメディアの特性を活かす形でビジネスとなり、すでに文化的にもメインストリームを占めているという。

 それでも著者には、オンライン・デーティングで「男」を探すことに何か違和感もあったようだ。ニューヨーク赴任直後、友人に「実はオンライン・デーティングに登録したんだ」と「恥じらい」を込めて話したところ、「そんなこと、告白調で言うことはない。今どきみんなやっている」とあっさりと言われたそうだ。そしてオンライン・デーティングが始まった。




 遠く離れた東洋の島国の「オヤジ」がアメリカでサバイバルしながら(大学でそれなりの地位を得るために色々とあったと書いているし)暮らしている女性の生態を盗み見しているようで、その後の展開を読み進むのはなかなか面白い。勿論、自らの責任と選択で本書を書いたのだから、「盗み見」ではないのだが.....。

 男女の出会いにもアメリカ的な特性があるようだ。パーティーなども、この国と比較して頻繁に開かれるから、男女の出会いも多いと思いがちだが、彼女が選択のポイントのひとつともしている「知的で」「会話も面白い」男にはゲイが多いらしい。何となくゲイの匂いは感じられるようだが、それを直裁に初対面ではさすがに聞くわけにもいかないようだ。
 だからオンライン・デーティングに自身のプロフィールを書き、それを相互に公開、確認すれば、初対面から「知り合う」までの時間的なロスが省ける。ここで重要なのがプロフィールの書き方だという。嘘を書けば、実際に会って交流が始まればすぐにばれるし、正直に書くのは大前提。といって単に情報提供するのでは、興味は持たれない。魅力的なアピールも必要となるわけだ。その辺りの勘所は、著書を持つなど、言葉を扱っている著者らしく拘っている。

 著者はこれまでの恋愛での傾向と対策のようなことも書いている。自身が惹かれる男にはユダヤ系が多いこと。アメリカ男性の中には、アジア女性に対する「フェチ」も多いから、それを見分ける必要があること等々。そして宗教と政治的な立場もかなり重要な要素となることもだ。

 知的な仕事に従事している女性らしく、オンライン・デーティングでは相手の情報を得るための余分な時間が省けるなど、理屈もしっかりと通っているし、インターネットはあくまでも手段だと気がついている。そして、生身の人間として出会い、交際が始まれば、別にオンライン・デーティングで知り合ったことも、それほど重要ではないような「出来事」が次々と起こる。




 インターネット以前、この国でパソコン通信が興隆した時代、ネットでのやりとりで知り合った男女が結婚したと話題になった。ネットの書込ではよい意味での自己脚色が入る。直裁にいえば面と向かってはいえないような「うまい」こともいえる。だから生身での出会い、ぶつかり合い以上に仲良くなれる(と錯覚する)こともある。そして出会えば、まるで以前からの知り合いだったかのようにも思える。

 本書には、そんな要素は全くない。あくまでもネットは出会いの手段であり、出会ってしまってからの生身の方が重要。その違いには文化的背景、アメリカ的背景もあるのだろう。

 この国で男女の出会いを仲介するサービスは、結婚という前提付きの「結婚情報サービス」が主体のようだし、オンライン・デーティングに相当する機能には、出会い系、援交といったイメージが先行気味だ。著者が参加したオンライン・デーティングのサイトは、前述したように、人種、宗教、政治的立場、性的傾向などが混ざり合っているアメリカだから成立するのかもしれない。




 読み進む(著者からすれば書き進む)うちに、手段としてのオンライン・デーティングは背後に隠れ、アメリカに暮らす吉原真里というひとりの女性の「生態」を垣間見る()見せる)ことになる。
 出会いの後に、どのようにして男女はうち解けるのか。デートする場所、そこでの食事、仕事の内容、そこで出会う相手の友人、ニューヨークでは特にどの地域に住んでいるのかなどが大切な要素だし、男女としての性、セックスの相性も確かめる。著者が「カジュアルな」といっている性的な関係。この国で、その言葉が成立するかはわからないが、性的にはほぼ同様の行動を、この国の女性もとっているだろう。

 何故、ユダヤ系の男性に惹かれるのか。迫害を逃れ、アメリカにやってきたユダヤ系の人々は他の移民グループと比べると、「教育程度が高く、財や商業能力を持った都市部出身の移民が多かった」。そんな子孫の「ユダヤ系のアメリカ人は、政治・宗教や芸術から、テレビ番組・食べものにいたるまで、話題を問わず、なにに関しても強い意見をもち、(中略)とにかく高度に言語的な文化なのだ」。そして、「愛情や感謝の情も、実に豊かで、感動的なくらいに素直に表現する」と。

 どうもはっきりしてきた。本書はオンライン・デーティングが主題となっているようで、著者の研究テーマである「アメリカ文化」が主題なのだ。
 そして、もっとはっきりしてきた。マイノリティーとしてサバイバルしたきたに違いない著者が迫害の記憶をとどめているユダヤ系の人々に親和性を感じるのは理解できる。でも、それはあくまでも後付の理屈のようなもの。
 そんなユダヤ系だから「日常のちょっとした触れ合いにおいても優しく気を遣ってくれることが多いし、ベッドの中でも概してきめ細かい」。赤裸々というよりも、吉原真里という女性がアメリカ(でという大前提付き)での人間関係に何を求めているのか、とても微笑ましかった。それは何に対しても、きめ細かい方がいいに違いない。

 そして、遠く離れた東洋の島国の「オヤジ」にとっては本書が媒介となり、吉原真里という女性とオンライン・デーティングしたような錯覚も覚えた。性的な関係も含めて、女性というものが「男」のどこを見ているのか。彼女固有の要素はあったとしても、何にこだわり、どんな感情の動きをするのか。

 複数の男性が本書には登場するが、当然のように仮名だという。それでも勤務先の社名などがでてくる。それが仮名だとリアリティーがなくなる。だから本当なのか。それらの男性が本書を読んだら、「こんなふうに思われていたのか」と、「オヤジ」同様、これからの出会いと恋愛に大いに参考になるのに違いない。でも....彼らは日本語が読めないから「大丈夫」だのこと。彼らのためには少しばかりもったいないように思った。

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