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 2008年4月29日(火)、昭和の日。NHK-BShiで『今日は一日"昭和の日"特集"HV特集「新・一瞬の戦後史〜スチール写真の記録」』が放映された。

 1947年にロバート・キャパらによって結成された写真家集団「マグナム・フォト」。そのマグナムに所属するカメラマンなどが激動の世界を記録してきた膨大な数のスチール写真が個々のエピソードを交えて紹介された。

 手元あるマグナムの写真集を開いてみた。人間の歴史は暴力にまみれている。無力感と共に、それでも写真として記録することの価値とは何なのかを再確認したくなった。

マグナム・フォト(日本語版)




 マグダム会員ではないが、ケヴィン・カーターが1993年に、飢餓が蔓延していたスーダンで撮影した「ハゲワシと少女」の衝撃が思い出される。痩せこけて歩く気力も失った黒人の少女が頭を抱えて蹲っている。その向こうには彼女を凝視している一羽のハゲワシがいる。初めて目にした時に背筋が寒くなった。

 この写真は資料によると、1993年3月26日付けのニューヨーク・タイムズ紙に掲載された。すると、同紙には「写真を撮るのではなく、その前に少女を助けるべきではないか」と多くの非難が寄せられた。「報道か人命か」....。ケヴィン・カーターは、この写真によって1994年、ピューリッツァー賞を受賞しているが、授賞式の約1ヶ月後に、故郷のヨハネスブルク郊外で自殺している。

 自らの意思で悲惨な戦場などに出向き、時には見るに耐えない写真を撮り、それを何故、公表するのか。記憶では、当時、ケヴィン・カーターは「報道か人命か」との問いに明確には答えていない。では何故、自ら命を絶ったのか。多方面から寄せられた非難もこたえたと思うが、何よりも、見てしまった者、このまま見続け者としての自らに耐えられなかったに違いない。

 今回の番組でボスニア・ヘルツェゴビナで起こった出来事が紹介されていた。この紛争に立ち会っていたカメラマンが破壊された家屋から一枚の写真を発見する。平和だった頃に撮影したイスラム系の4人家族の写真。異様なことに、家族全員の顔の部分が削り取られていた。後に隣家に住んでいたセルビア系の住民が手を下したのがわかる。ここまでやるのかという憎悪の連鎖。そのカメラマンは、紛争後、家族を訪ね、かつて写真が撮影された場所で、平和が続くことを願って新たに4人の写真を撮り直した。4人は無事に生き残っていたのだ。

 このカメラマンが語った主旨とは...。「何故、悲惨な写真を撮るのかと聞かれることがある。安全が守られた場所で撮影しているのでは非難されることもある。それは違うのだ。紛争現場で中立的な立場で撮影するには、対峙する陣営の真ん中に入らなければならない。何故、記録するのか。それは誰かがそこに行き、起こっていることを記録しなければ、何も起こっていないことになるからだ」と....。これはケヴィンが語りたかったことを代弁していると思う。




(C)MAGNUM
「銃剣に花を捧げる少女」
 もうひとつのエピソード。カメラマンのマルク・リブーが1967年に撮影したアメリカのベトナム反戦デモで銃を突きつける警備隊に花をささげた少女の写真。彼はその少女ジャン・カスミーを捜し出し、長年に渡り、交流を続ける。

 この写真の被写体となったことで一躍、有名となったジャン・カスミー氏は数奇な運命を辿った。中年を迎えたジャン・カスミー氏はシングルマザーとして一人娘を育てていた。マルク・リブーは、当時の母親と同じ年齢となった彼女と共に母娘の写真を撮影している。

 ジャン・カスミー氏のインタビュー主旨。「長い間、社会的な関心からは遠ざかっていたが、娘が当時の私と同じ年頃を迎えても世界は少しもよくなっていない」「彼女が平和に暮らせる世界を創るために何かできるのかを再び、考え始めている」。

 平和を願って銃口に花を差し込もうとした少女だった頃の母親。そして今のアメリカの現実を生きざるを得ない娘。時を経て、映像として差し出された二枚の写真は単なる記録を超えて、何かを語りかけている。




 写真は激動の歴史を記録するだけでなく、人々の日々の生活も活写してた。二人のカメラマンを紹介する。

アンリ・カルティエ=ブレッソン
「瞬間の記憶」
 1947年にロバート・キャパらと共に「マグナム・フォト」を結成したアンリ・カルティエ=ブレッソン。

 彼はガンジー暗殺の現場に立ち会うなど血なまぐさい事件や紛争の記録も残しているが、何気ない日常の瞬間を捉え、そこにストーリー性を与えた写真も数多く残している。

 1952年に発表され、世界中のカメラマンに大きな影響を与えた写真集「The Decisive Moment(決定的瞬間)」が有名。

 彼のインタビュー映像を見たことがあるが、少年時代、画家を目指していたという。そんな出自からだろうか、彼の写真には絵画的な構成力が溢れている。

 この写真は誰もが一度は、どこかで見た記憶があるのではないだろうか。まるで絵画のようにも見える。

エド・ヴァン・デル・エルスケン
「セーヌ左岸の恋」
 エド・ヴァン・デル・エルスケン。24歳の時、小銭とカメラだけでアムステルダムからやってきた彼は、第二次世界大戦直後、開放感と共に、けだるい虚脱感も満ちていたパリ、サン・ジェルマン・デ・プレのカフェに集まる若者たちを撮影し、処女作「セーヌ左岸の恋」を発表する。

 被写体は実在の人物だが、彼らの架空の名前をつけ、当時の若者たちの日常を物語風に仕立てた写真集。彼らの希望、野心、不安、男と女の葛藤などがモモノクロ写真の陰影と共に、見事に表現されている。

 エルスケンは、1959年の初来日以来、たびたび我が国を訪れ、多くの写真を撮影している。それらは代表作「ニッポンだった」などとしてまとめられている。

 機会があれば、どれか写真集を手にとってほしい。写真は現実の一部を切り取っただけなのに、必ず何かを語りかけてくる。それでも留意したいこともある。切り取ったのは現実の一部であり、撮影されなかった現実もあることを....。それらを想像力によって、時には、再構成する必要もあることを。写真は見る者をことさら揺さぶり、騙すこともあるからだ。

 
 2007年12月1日(土)〜2008年1月18日(金)まで東京都写真美術館で公開された映画「MAGNUM PHOTOS」も観た。

 本作は1999年に製作された過去50年間に及ぶマグナムの輝かしい歴史を振り返りながら、新たな時代への意欲をみなぎらせる彼らの姿をとらえるドキュメンタリー。

製作年:1999年/ドイツ/約89分
監督:ライナー・ホルツマー
原題:MAGNUM PHOTOS _The Changing of a Myth
出演:マーティン・パー、ドノヴァン・ワイリー、ラリー・タウェル、イーライ・リード、ルネ・ブリ、フィリップ・ジョーンズ=グリフィス、イヴ・アーノルド、マルク・リブー、バート・グリン、デビッド・ハーン、マルティーヌ・フランク、コスタ・マノス、ジョセフ・クーデルカ、トーマス・ヘプカー、アンリ・カルティエ=ブレッソン(以上、マグナム・フォト)、ルック・ドラエ(元マグナム・フォト)
配給:ナウオンメディア株式会社
後援:マグナム・フォト東京支社
公式ホームページ
(C) 1998 Reiner Holzemer Film

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