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 CADデータの流通が一般化する中で、DXFファイルでのデータ互換が完全に確保されない点が課題となった。それはAutoCAD以外のパソコンCADシステムが一種、方言のようなDXFファイルを生成するからだった。

 ある大手ゼネコンのように、協力事務所を一同に集め、AutoCADにシステムを統一すると宣言し、協力事務所の絞り込み+囲い込みを行うところも現れた。その際には、協力事務所に対して、一定の財政的な支援も行ったとも聞いた。




 データ互換性の確保のためには、レイヤーの統一など、CAD図面として完成させる際のルールを複数の組織間で共有することが必要不可欠となった。一方で、協力事務所側では、ひとつの元請けの仕事だけをしていたのではない。すると、元請けごとにルールを使い分けて仕事を進めなければならないことになる。

 しかし、このことは協力事務所側にとって決して悪い面だけではなかった。協力事務所の中には、元請けごとにルールを切り分けるマクロ・プログラムを開発し、対応するところも現れた。このようにしてCADシステム運用のノウハウは協力事務所側にも蓄積されていった。ジョイント・ベンチャーを組む際に、協力事務所が元請けにマクロ・プロクラムを提供し、複数の組織間でのCADシステム運用の要となるような事例も生まれた。

 このようにして大手設計事務所やゼネコンでのCADシステム運用が進み、更に協力事務所との連携も深まっていく中で、新たな囲い込みも始まった。それはCADシステム運用にたけた協力事務所の選別という形で現れた。

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