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top pagearchitecture>1982年〜[16]











 日建設計では、現在のように、設計者がタブレットやマウスを用いてディスプレイ上にインタラクティブに図面を描いていくCADシステムは導入されていなかった。やがて同社は※1)ミニコンベースのCADシステム(※2)GDSなど)を導入し、さらにパソコンCADシステムの導入へと環境を変えていく。

 [12]〜[15]では一品生産である建築分野でのコンピュータ利用のユニークさを強調した。少しばかり追加説明が必要だろう。

 ホテルから見え隠れの検討、客席からの舞台の視線の確保、200Kmで走る新幹線からの工場の見え方などは、言葉を代えれば、「コンピュータにしかできない」領域を見つけ、利用していたともいえる。

 やがてパソコンの低価格化と高性能化によってパソコンCADシステムが普及し始め、比較的、小規模な設計事務所や建設会社の設計部にも導入されていった。その段階になると、「コンピュータにしかできない」領域を見つける必要性は意識されなくなった。

 しかし、パソコンCADシステム導入で新たな課題が顕在化する。それは現在のように設計者一人に一台のパソコンそしてCADシステムが装備されているといった環境ではなかったためである。




 小規模な設計事務所では、所長または設計者自らがパソコンCADシステムを使用するケースも見受けられたが、いぜんとして主体は手描きの図面であった。やがてパソコンCADシステム導入と共に、CADオペレータという職能が登場する。しかし、当初は、CADオペレータという明確な位置づけもなく、実験的な導入、手描き図面の清書、事務的なサポートの延長というものだった。

 これら小規模な設計事務所では、多くの場合、事務職の若い女性がパソコンCADシステムの操作担当となった。彼女たちは、パソコンCADシステムの操作に習熟したとしても、建築的な専門知識はもっていなかった。設計者とCADオペレータとの間で、どのようなコミュニケーションが成立すれば、パソコンCADシステムが有効利用できるのかという問題が顕在化した。

 取材で訪ねたある設計事務所の所長は構造用教材をコピー+切り張りし、CADオペレータ用にオリジナル教材を作っていた。建築図面にはまず始めに通り芯があり、柱、梁、壁が配置される、と所内で建築教育が行われた。

 現在のように設計者自らがパソコンCADシステムを使用すれば、このような問題は起こらない。しかし、パソコンCADシステム普及の割合も低く、設計者の中にも厳然と存在していた手描き図面への拘りも背景にあり、CADオペレータはあくまでも補助的な役割であった。

※1)ミニコン
・Mini computerの略。汎用大型コンピュータ(メインフレーム)に引き続き登場したコンピュータ。研究室や設計室など小規模な組織環境でも利用できる「小型」のコンピュータを指した。当時の代表時なミニコンはデジタル・イクイップメント社(DEC)のPDPシリーズ。やがてEWS(Engineering Workstation)へと引き継がれ、ハードウェア、OSの仕様の標準化が進み、コンピュータのオープン化・ダウンサイジング化に影響を与える。

※2)GDS
・Graphic Data Systemの略。エイ・アール・シー・ヤマギワ株式会社(現・株式会社インフォマティクス)が開発した図形情報システム。建築用のアプリケーションが搭載されており、パソコンCADシステムの普及以前、大手設計事務所やゼネコン設計部などで多数、活躍していた。MicroGDSの前身。


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