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 取材・執筆のテーマは「設計者はいつコンピュータ部を訪ねたか」とした。設計者はさまざまな懸案を抱えて、コンピュータ部を訪ねた。コンピュータ部には建築設計の特性を充分に理解したコンピュータの専門家が常駐しており、設計者との協力のもと、懸案をひとつずつ解決していた。

 当時、すでに多くの企業が汎用大型コンピュータを導入していたが、それらは事務系の処理に利用されていた。同社では、コンピュータ導入に際しては、設計事務所としての利用目的に合致するべく、初期には、構造設計者との協議を続け、コンピュータの構造設計への援用が可能なのかの検討を続けた。

 やがて自動作図システム(CADシステムの前身)を開発することになるが、その際も計画・意匠系の設計者との協議を精力的に続けた。あくまでも建築に特化したコンピュータ利用の環境を構築しようと努力を続けた。




 コンピュータが最も得意とするのは、定型業務への援用だ。一方で、日建設計が設計を受託する建築物は「高い品質」を求められるものであり、他の製造業とは異なり、常に一品生産だ。勿論、そのような一品生産の建築物にも、高層建築における基準階のように、一部、設計業務の中で、モデル化し、コンピュータのコピー機能などを最大限に活用できる領域もある。

 しかし、当初、日建設計では、建築分野の中でも、最も定型化しにくい設計業務の中核にコンピュータを位置づけようとした。具体的には、「コンピュータでなければ設計できない」部分を対象とし、更に、一度、データ入力すれば、変更が容易で、初期の設計段階での試行錯誤に活用する方向を選択した。

 その結果、「鉛筆と和紙」に象徴されるように、「コンピュータの側を人間の側==設計者」に近づけた。言葉を代えれば、現在のように、設計者が手元のCADシステムで、インタラクティブに設計対象にアクセスできない環境下でも、「設計者のためのコンピュータ利用」を徹底的に追及したことになる。そして、それをサポートする「建築的なコンピュータ技術者」が数多く、活躍していた。

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