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 編集にコンピュータが使えるかもしれないとの思いは現実のものとならなかったが、それでもパソコンへの興味は持ち続けていた。そんな時、月刊「建築知識」を刊行している建築知識が「建築とコンピュータ」に関わる新しい雑誌を刊行するため、編集部員を求めているとの求人広告を見た。1981年の10月のことだったと思う。

 その時期、すでにフリーランスの編集者・コピーライターとして活動を始めていた。編集部に参加できないかと考え、電話の後、早速、同社を訪ねた。

 責任者との面談にまでこぎ着けたが、突然、訪問した外部のものに「建築とコンピュータ」誌の編集方針は明らかにはしてくれなかった。その日は、経歴やコンピュータに興味を持った背景などを話して引き上げた。

 一週間ほどが経過した。同社から電話があり、再度、来て欲しいとのことだった。再訪すると、これから話す内容は、第三者には明らかにしないとの条件で、編集概要を話してくれた。それは「建築分野でコンピュータがどのような役割を果たそうとしているか」「どのような可能性をもっているのかを明らかにしたい」というものだった。

 すでに具体的な取材先なども決定されており、それら取材先に対する情報提供を受けた。その日は引き上げ、後日、取材先ごとに取材テーマを企画案として提出、了解を受けた。これで編集部に参加できることとなった。




 この頃、パソコンの主流は、NECのPC8001や8808などに移っていたが、現在のように、建築に特化したアプリケーション・ソフトウエアはなかった。

 1981年5月に発売されたNECのPC8001のカタログが手元にあったので紹介する。このパソコンにはN-BASICというプログラミング言語を搭載しており、これによって、自作プログラムを開発する建築技術者が急増した。

 仕様には、
・CPU:μPD780C-1(Z-80互換)(4MHz)
・ROM:24KB(MAX 32KB)
・RAM: 16KB(MAX 32KB)
・表示能力:160×100(8色)
・価格:168,000円
とあった。

 「建築とコンピュータ」誌刊行に先立ち、月刊「建築知識」誌では、コンピュータ関連の記事を先行的に掲載しており、取材先候補のリサーチを行っていた。そのリサーチの中で、「建築とコンピュータ」誌のための取材先候補も絞り込んでいたので、すぐに連絡をとり、全国各地を訪ねて回った。最初の仕事は、それらの取材先で、どのようにパソコンを使用しているのかの実態を調べ、記事にすることだった。

※以下、組織名・個人名はいずれも当時

 羽島市(岐阜県)の木村建築事務所では、BASIC言語を用いてプログラムを自作し、木造建築の壁量計算を行っていた。この事例ひとつを考えても、これ以降の「建築とコンピュータ」の可能性と抱えていた課題が明らかとなった。

 可能性とは、建築実務の効率化と品質の向上である。壁量計算のプログラム稼働以前は、自ら工夫して、最低限、どの程度の壁量が必要なのかグラフ化して計画段階で確認していた。しかし、本設計に入り、変更があると、かなりの手戻りとなった。そこでプログラムにデータを一度、入力しておけば、パラメータの変更により最適な壁量を計算してくれる。このように、計算ルールがはっきりとしている部分をプログラムにより自動化すれば、変更が容易なのがパソコン利用のメリットだ。

 課題とは、行政との関係だった。当初は、パソコンによる計算結果を行政側は信用しなかった。窓口の担当者に熱心に説明を続けた結果、確認申請時に計算書を添付するのを認めてくれた。

 この他にもパンコンの数値計算能力が最も威力を発揮する分野として構造計算があった。多くの構造設計者が自作プログラムの開発と設計実務への援用にチャレンジしていた。

(C)NEC Corparation.

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